料理理科

用語説明はこちら

一番うまくてまずいもの

料理に欠かせないもの=「塩」。この等式に異を唱える料理人はいないだろう。焼いた肉も生野菜も塩をひとふりするだけでグンとおいしさが増し、たくさん食べられるようになる。塩がなければ、煮物も焼き物も多くの料理が間の抜けた味わいになってしまう。「おいしさを司るのは塩」と言っても過言ではない。
 しかし、家康の時代に「一番うまくて、まずいもの」と言われたように、塩のおいしさは加減次第。そのストライクゾーンは実に狭い。少し入れ過ぎると塩辛くなり、時には食べられなくなることさえも。日本料理ではその修業を「庖丁十年、塩味十年」と称するほど、塩加減は難しいとされている。料理人にとって塩使いは、経験で培われる“技”であり、個性の表現手段のひとつとも言えよう。今回は、このおいしさの一大要因である「塩」について考えてみたい。

身体に必要だから塩はおいしい

 調理における塩の役割を考えた時、最も重要なのは「塩味を付けること」である。塩=塩化ナトリウムは、身体の体液濃度を保つために人間にとって欠かせないもので、同じ味わいの代替品はない。汗をたっぷりかいたスポーツの後に塩を欲するように、身体は自然と塩を必要とする。このことから、塩の味わいは“生得的なおいしさ”であると言えるだろう。
 ちなみに汁物などの味付けでちょうど良いとされる塩分濃度は0.8~1.1%前後。これは人間の体液の塩分濃度(生理食塩水)の0.9%とほぼ同じというから、実に興味深いデータである。

加減次第で素材の特徴が生きる

塩そのものがおいしいだけでなく、塩には素材をおいしくしたり、素材が持つ特徴を生かしたりする力が備わっている。
 例えば、ほっこり柔らかく茹であがった大根、しこしことコシのあるうどん…。そこには塩が関わっている。大根など野菜類は塩を入れて茹でることで、ペクチンが溶け出しやすくなって柔らかく仕上がる。うどんやパンに塩が欠かせないのは、小麦粉のグルテンの形成を促すため。その他、リンゴなど果物の変色防止、タンパク質の熱凝固の促進、防腐作用、ぬめりや粘りの除去など、塩が担う役割は多様だ。
 もうひとつ、おいしさに関わる重要な要素を忘れてはならない。塩をすることによって、人はうま味をより強く感じる。これは対比効果と呼ばれ、2種類以上の異なる味を一緒に口にした時、一方または両方の味が他方を強める現象。スイカに塩をすると甘みを強く感じるのと同じ原理である。

水を引き出す。水を保つ

 今回、塩の効果の中でも、特に“水”に関わる2つの作用に注目したい。素材から水分を引き出す脱水作用と、タンパク質の保水力を高め、素材をしっとりさせる作用である。
 まずは、水を引き出す作用。切ったキュウリに塩をすれば水が出てくる。漬物や和え物にする場合、水を引き出してから使えば味が入りやすく、水っぽく仕上がらないのはご存じだろう。通常、新鮮な野菜や魚・肉など生きている状態を保った細胞の細胞膜は水を自由に通すが、塩や砂糖などの分子は通しにくい。この細胞膜の両側で塩濃度に違いがある場合は、濃度が薄いほうから濃いほうへと水が移動する。キュウリの輪切りを塩水に浸けた時、内側よりも外側の塩分濃度が高いため水がしみ出してくるというわけだ。この水を動かそうとする圧力を浸透圧と呼ぶ。塩は砂糖や酢よりも浸透圧が高く、水を引き出すのに適している。
 次に、素材をしっとりさせる作用について。魚に塩をすると、水が出た後、細胞膜が塩など水以外のものも通す状態に変わり、塩が拡散する。この塩によって、魚の筋肉を構成するタンパク質が溶けて、粘りのあるすり身状の塊となり、水分を多く保つようになる。結果、魚の肉質がプリッ、しっとりとした食感となるのだ。塩をしてしばらく置いた後に肉を焼くと、よりジューシーに仕上がるのもこのため。カマボコもこの性質を利用し、魚のすり身に塩を加えて練ることで、独自のプリプリした食感を作り出している。

浸透圧 ●浸透圧
キュウリを濃い塩水に漬けると、浸透圧により、キュウリの中から外に水が引き出される。日本料理の「たて塩」はこの原理。その塩分濃度は海水(3%)程度。

タンパク質の溶解 ●タンパク質の溶解
魚に塩をすると、水が出た後、塩が身の内部に拡がる。この塩によって魚のタンパク質がプリッ、しっとりした状態に変化。魚内部のアミノ酸は、表面に出てくる。



これら2つの効果を検証するため、『弧柳』の松尾慎太郎さんと『空心』の大澤広晃さんにご協力いただいた。お二人が普段作っているメニューをアレンジして考察。農学博士である仁愛大学の川崎寛也先生(以下、Dr.川崎)にもご参加いただいた。

脱水を促進!クイック塩漬け卵

 浸透圧による脱水を検証するメニューは「塩漬け卵」。「中国では鹹蛋(シェンタン)と言って、主に保存食。アヒルの卵を使うことが多いですね。うちでは手に入りやすい鶏卵を使っています。飽和するまで塩がたっぷり入った塩水に30日間漬け込むと、黄身は固まり、白身はさらさらになるんです」と大澤さん。中国では茹でて白身ごと刻んで炒飯に入れるなど、塩味を生かし調味料として使うことも多い。しかし、大澤さんは黄身のねっとりとした食感と独特の風味を好み、月餅やまんじゅうに使用。保存目的はない。とすれば、30日も日数をかける必要はなく、もっと早く同じ状態の塩漬け卵ができればよいのでは? ということで、作成時間を短縮できる「クイック塩漬け卵」作りにチャレンジ。鶏卵から黄身のみを取り出し、3個ずつ、3%、10%、20%の塩水に約20時間漬け込んだ。
 今回、撮影場所への移動による衝撃のためか、いくつかの黄身は割れていたが、いびつながらも固まっていたものを取り出せた。
 大澤さん「やはり、黄身が固まっていますね。いつも思うのですが、ホントに不思議です!」。
 Dr.川崎「飽和食塩水程度の塩水(20℃で26・4%)に30日間鶏卵を入れると、塩が卵殻膜を通して卵白に拡散し、卵白の塩分濃度が約3%になるとのレポートがあります。この卵白の塩分により、卵黄からも脱水が起こり、卵黄が固くなる。卵白はタンパク質の構造が変化して分子がバラバラになり、さらに黄身から脱水した水が移動するため、さらさらになるのでしょう」。
 大澤さん「いつもはもっと丸いですが、20%のものは普段作っているものと似ていますね。風味はやや落ちるかな?と思いますが、濃厚さや食感はなかなかいい。うまくすれば、使えそうですよ!」。
 Dr.川崎「塩分濃度が高いほど浸透圧は高く、脱水も早い。なので、濃度を調整して漬ければ、より早く好みの状態に仕上がりますよ」。


●追加実験1
撮影時に黄身が割れたこともあり、後日、クイック塩漬け卵作りに再度取り組んだ。黄身のみを取り出し、3、10、20%の塩水に、3日間漬け込む。


●結果
どの黄身にも真ん中に塊ができ、濃度が高いほどその塊は大きかった。脱水によるものといえよう。しかし、どの黄身にも最外層の中には水が入っていたようだ。塩水だと脱水と共に吸水が起こるが、直接卵黄に塩をまぶすと脱水が効率よくできることがさらにこの追加実験の後にわかった。

『弧柳』松尾 慎太郎さん 『弧柳』
松尾 慎太郎さん
なにわ割烹の名店で修業を積み、09年、北新地に自店を開く。なにわ伝統野菜をはじめ地のものを巧みに扱いながら、料理に遊び心を盛り込む。造りの醤油代わりに海水を供すなど、塩使いも個性的。

『空心』大澤 広晃さん 『空心』
大澤 広晃さん
上海や香港で修業。とれたての鮮魚と中国野菜を使った本場の味を、肩肘張らずに愉しめる店を志す。中国料理には醤(ジャン)など数多くの調味料があるが、やはり味の基本は“塩”と話す。

殻ごと約30日塩水につけた大澤さんの塩卵。

濃度10%の塩水に黄身だけを約3日浸けたもの。


塩の有無で実感。鯛の身の保水力UP

 一方、松尾さんには「鯛かぶら」を作っていただいた。通常、下処理として鯛に塩をして4~5時間程度置くという。「塩をすると鯛の身の食感もいいし、うま味が引き出されているように感じるんです」。ならば、鯛に塩をした場合としない場合の、鯛かぶらの仕上がりを比較してみよう。
 厨房にて調理中、塩をした鯛を取り出した松尾さん。していないものと比べて「こっちのほうがねとっとしているんです。塩をしたかどうか忘れた時は触って確かめるくらい(笑)」と話す。調理師学校などでは塩をした後、臭みを除くために水洗いを薦めているが、「洗うと味が抜ける気がするんです」。確かに、魚の臭みの元であるトリメチルアミンは塩をして洗い流すことで除去できる。しかし、魚の死後経過時間と比例して増加するトリメチルアミンは、魚の鮮度が良い場合は少ない。また、松尾さんは鯛を蕪と煮る前に、鯛に炭火で焼き目を付ける。焼いて香ばしくすることには、臭みをマスクする働きもあるのだ。

(1)鯛に塩をして(塩焼き程度の量)、4.5時間置く。 (2)鯛の両面を炭火で焼く。 (3)カツオだしに食べやすい大きさに切った蕪を入れて、中火で約20分間煮る。 (4)3に2を加えてさらに約20分間煮る。蕪の皮や軸を加える。 (5)塩で味を調えて完成。

 今回、検証するメニューの調味は塩のみ。下処理の塩の有無に拘わらず、最終的には同じ塩分濃度になるように、仕上げで調整した。
 松尾さん「煮汁は塩をしていないほうが素材それぞれの味がしますね。塩をしたほうはひとつにまとまっている感じ。鯛の身は塩をしないほうはパサパサ、塩をしたほうが、しっとりと弾力があっておいしいです!」。
 Dr.川崎「身がしっとりとしたのは筋肉タンパク質が溶解して、保水性が増した証拠。あっ、塩をしたほうが煮汁の色が濃いですね。これはアミノ酸が魚の表面に移動したため、メイラード反応が表面で起こって、より香ばしく焼けたからでしょう。煮汁がまとまって感じるのも、この風味が全体を覆うようになるからかもしれません」。
 松尾さん「身のうま味が強くなっていると感じていたのは?」
 川崎先生「厳密に言えば、アミノ酸の総量は変わらないので、うま味成分が増えているわけではない。でも、アミノ酸が魚の表面に移動したことと、塩をするとうま味が強く感じられる対比効果で、そう感じていたのでは?」。

●追加実験2
塩をすることでアミノ酸が表面に出てくるのか、焼き色が付きやすいのかということも再実験した。1%の振り塩をした豚肉と鯛の身を30分間置き、アミノ酸を検出する試薬で確認。

●結果
豚肉と鯛の両方からアミノ酸が検出できた。さらに、これらをフライパンで焼き、塩をしていないものと比較。塩をしたほうが焼き色がやや付きやすく、メイラード反応が促進されたといえる。

効果の原理を識ると塩はもっと面白い

 検証を終えて、「中国には『鹹鮮味(シェンシェンウェイ)』という言葉があります。うま味は塩味と一緒にあるという意味。修業中に何度も言われたのを改めて思い出しました(笑)」と大澤さん。今回、生産性を上げる可能性を見出した塩漬け卵だが、塩以外も卵殻膜を通るため風味付けができると知り、「塩水に山椒や白酒などを加えてみます!」と。早速、新しいメニューが浮かんだようだ。
 松尾さんは「実際に食べ比べたことがなかったので、塩をした方がおいしいと分かってよかったです。塩のパワーを実感できました」と話す。調理中、塩で下処理していないほうの鯛かぶらに、思わず醤油を加えそうになった一幕も。料理人の本能からか、自然と風味不足を感じ、それを醤油で補おうとしたようだ。「味を外から足そうとしてしまいました(笑)。ホント、このように感覚だけでやっていたことの正体が分かって、視野が拡がりますよね!」
 まさに「うまいまずいも塩加減」。多様な塩の効果の原理を科学的に知り、巧みに操ることが、確実においしさへと繋がっていくようだ。

お料理

『あまから手帖』2010年3月号より転載