料理理科 8限目「マリネの効果」

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マリネとは、低pHの液に漬けること

ルネッサンス時代から西洋では、マリネは主に菌の繁殖を防いで保存したり、腐敗臭を抑えて食べやすくする下処理であった。しかし最近では、硬い肉を軟らかくしたり、風味付けしたりするなど、おいしくするための方法として用いられているようだ。
 そこで、まずは「マリネとはなんぞや?」という定義をしてみたい。<新ラルース料理大事典>の「マリネする」の項には、香味を付けた液体に材料を一定の時間浸し、軟らかくして香りを付けることとある。フランス料理の世界では、この液体をマリナードと呼び、加熱するとマリナード・キュイ、そのまま用いるとマリナード・クリュ。これにはワインか酢が欠かせないようで、その観点からマリネとは「低pHの液体に一定の時間、素材を漬けること」という定義が見えてくる。
 pHとは、酸性やアルカリ性を測る“物差し”の値のこと。0~14まであり、7が中性で、7より小さければ酸性、大きければアルカリ性となる。よって、低pHはpH7未満の酸性の状態を指す。
 では、低pHの状態に素材を置くことによって、どのような効果が得られるのか。まず一つめの効果として、農学博士である川崎寛也先生は肉の軟化を挙げる。「低pHの状態に置かれることで、筋繊維の間に隙間が生じて、水分が入り込む余地ができます。すなわち、保水性が高まるのです。またタンパク質分解酵素の働きもより活発になります。肉の筋繊維内にあるタンパク質がアミノ酸に分解される過程で、筋繊維間の結束が弱まって、軟化が進むのです」。
 さらには筋繊維を取り囲む結合組織を構成するコラーゲンは、酸性化することでゼラチン化が促進される。加熱すると溶けて軟らかくなる性質を持つようになるそうだ。
 二つめの効果は、食材に風味が付くこと。マリナードには赤ワインやハーブ、香味野菜を多用するが、香気成分には水溶性と脂溶性のものがある。そのうち、水溶性のものは低pHでできた筋線維内の隙間に水分と共に入り込み、脂溶性のものはタンパク質本体に吸着したと考えられると、川崎先生はそのメカニズムを説明する。

マリネの肉の軟化

マリネの下処理が肉質を変える

では、マリナードの違いにおけるマリネの効果を比較実験してみよう(実験1)。同じ重量の牛肉を、赤ワイン、煮切った赤ワイン、赤ワインビネガーに30分間漬け込む。それらとマリネしていない肉、計4種を比較した。
 今回実験に参加いただくのは、『ヴレ・ド・ヴレ シェ・ヒロ』の大垣裕康さんと『鮨ろく』の堀内紀久さん。開始から興味津々の様子だ。
 大垣さん「おっ、色の差は出てます。ビネガーは…変色してる」。
 Dr.川崎「重さを量ってみましょう。ビネガーは約2%増加し、赤ワインは約1%減少してますね。最もpHの低いビネガーが吸水して重くなっている、つまり肉のタンパク質に隙間ができて、保水性が増したのでしょう。また、濃度計によると赤ワインが最も高濃度。肉の重量が減っているのは浸透圧によるものと考えられます。赤ワインの浸透圧が高いので、肉から脱水が起こったのです」。
 ここで肉を焼いて味見してみる。
 大垣さん「煮切り赤ワインのマリネは馴染みある味。ビネガーは味がぼやけています。でも正直、マリネしない方が肉の素材感が生きている気がします(笑)」。
 堀内さん「煮切った方が赤ワインの果実味がします! 肉の軟らかさは、微妙な差ですねぇ…」。
 大垣さん「アルコールの香りが強いと、肉やワインの風味を感じにくいので、フレンチでは煮切ることが多いんですよ」。
 短時間のマリネでも、肉に味は移っていたが、肉質の変化はあまり感じられなかった。「30分間だとマリネの影響があるのが肉の表面1~2㎜程度だからでしょう」と川崎先生は考察する。
 ではマリネする時間を長くすれば、どうか。大垣さんの得意料理・牛ホホ肉の赤ワイン煮込みで試してみる(実験2)。一方は、赤ワインや香味野菜を用いたマリナードで5日間マリネ。もう一方は下処理なし。それぞれを赤ワインベースのソースで3時間煮込み、1日寝かせてから試食した。
 堀内さん「全然違います! マリネした方は、ホロホロッとほぐれやすくなっていますね」。
 Dr.川崎「マリネすることによってコラーゲンのゼラチン化が促進されていますね。肉の繊維が1本1本ほぐれているんですよ」。
 大垣さん「僕はマリネなしの方が肉が魅力的に感じられます」。
 川崎先生「マリネすることによって、素材感が損なわれてしまう、というのはあるでしょうね」。
 大垣さん「この肉は大山からフレッシュの状態で取り寄せてます。肉質や旨みに満足しているから、僕はマリネは必要ないと思ってる。お店では、そのまま煮込んで提供しています。でも少し硬い肉なら、マリネも有効ですね」。
 実験からマリネで肉質の軟化、効果的な風味付けが可能だと確認できた。しかし素材の特性を鑑みながら、マリネするかどうかを見極められれば、調理の可能性が広がるともいえそうだ。

【実験2】マリネの有無による煮込みの肉質の相違 【実験2】マリネの有無による煮込みの肉質の相違

5日間マリネした肉は赤紫色に変化。漬け込んだ後のマリナードはやや濁っており、タンパク質が溶け出たと考えられる。煮込んだ後の肉の断面を見ると、マリネした方(右)が中まで赤っぽく、筋繊維がほぐれているのが分かる。

【実験1】マリナードの違いによる肉質の変化 【実験1】マリナードの違いによる肉質の変化

肉は黒毛和牛のサシの少ないクリミ(腕肉)を使用。写真は各マリナードに30分漬けた状態。色の違いは一目瞭然。軽く塩をして90℃のスチームコンベクションオーブンで20分間火入れし、試食した。



『ヴレ・ド・ヴレ シェ・ヒロ』大垣裕康さん 『ヴレ・ド・ヴレ シェ・ヒロ』
大垣裕康さん

フランスや大阪の老舗フレンチでの修業を生かし、素材感のある大胆な料理を提供。「フランス修業時代、鶏を捌いている時に余った部位は、そばにある赤ワインにどんどん放り込んでましたね。1日2日経って、それがある程度たまったら煮込む。今思えば、スゴイ大胆なマリネです」。


『鮨ろく』堀内紀久さん 『鮨ろく』
堀内紀久さん

中華料理で3年経験を積んだ後、寿司の世界へ。大阪市内の数軒での修業を経て、07年に独立。寿司の仕事は奥深い、と痛感する毎日だそう。「食感をより良くし、持ち味の輪郭を際立たせる。例えば、青背の魚に施す酢〆はマリネに近い仕事ですね。ヅケはマグロの他、金目鯛でもしますよ」。




肉と魚ではマリネの効果は逆?

マリネを低pHの液体に漬け込むことと定義すると、寿司の世界では酢〆がある。低pHの酢には、菌の繁殖を鎮静化させる効果もあるため、特に足の早い青背の魚の下処理に用いる手法だ。必ず塩で〆てから酢に浸すが、「その方が身が締まるんですよ」とは堀内さん。実は、マリネに求める肉質の変化は魚と肉では真逆である。もともと軟らかい魚の身は、締めるためにマリネするのだ。
 ここで、塩〆の有無で身の締まり方にどの程度の差が出るのかを実験してみる(補足実験)。
 Dr.川崎「酢〆のみの方が、表面が白い。魚の筋タンパク質が変性していますね」。
 大垣さん「うわっ、塩をしていない方は身がどろっと溶けています! 酸っぱさは感じないけど…味がぼけていますね」。
 堀内さん「別の魚みたい! 鮮度も塩をした方がいいように思いますし、旨みも濃いですね」。
 酢〆の前に塩を纏わせる効果として、筋タンパク質が溶けにくくなることが挙げられる。低pHではタンパク質分解酵素の働きが活発になるが、できたアミノ酸は溶けず、脱水で身も締まるという効果もある。身の水分が減りアミノ酸の濃度が増すので、旨みをより感じられるのでは、と川崎先生は複合的に分析して話す。

【補足実験】塩〆と酢〆 【補足実験】塩〆と酢〆

明らかに左は白っぽい。右は塩をしてからイワシは4分半、アジは6分間置き、氷水で洗った後、酢で〆た。〆た時間はイワシは40秒、アジは2分間。塩を使わず、酢〆のみのものも同じ時間〆た。「時間は身の薄さや脂ノリで判断している」と堀内さん。

マグロのヅケに赤ワインの風味!?

酢〆の他に、江戸前寿司の仕事の中で“液体に漬ける”ものがもう一つある。ヅケだ。マグロならその目的は、醤油の風味を付ける、ねっとりとした食感を生む、などが挙げられる。ここで寿司の仕事の固定概念を取り払い、マリネの発想をヅケに用いてみる。
 通常の漬け汁は、みりん、酒、濃口醤油を煮切り、マグロ節を加えて漉したもの。これに赤ワインを用いてみる。一つは、酒を赤ワインに変えて1/2量に煮詰めたもの。もう一つは、酒を赤ワインに変え、煮切らず使った。この3種の漬け汁に、1カン大の切り身にしたマグロを4時間漬け込む。
大垣さん「やはり通常のヅケが旨いです! マグロ節の香りがしっかりします。煮詰めたのは、身が締まって味が濃い。ワインの風味が強いのは、煮切らず使ったもの。コレ、なかなかいけますよ」。
 堀内さん「ややアルコールの匂いが気になりますけど、赤ワインの風味がマグロに合いますね」。
 Dr.川崎「マグロの筋肉に含まれる鉄の成分と、赤ワインの鉄を彷彿とさせる香りが調和するのでしょう。今回、1/2に煮詰めた漬け汁のものが、より身が締まっていました。調味料の配合を調整し漬け汁の濃度を変えれば、ヅケの時間短縮の可能性もあります」。
 これらのマグロで、堀内さんに寿司を握っていただいた。「今すぐ新しい握り寿司が生まれるわけではないですが、薬味などでの風味付けや時間短縮の可能性など、マリネを知ることで、ヅケの気づかなかった側面を発見できました」。

【実習】マグロのヅケを赤ワインでアレンジ 【実習】マグロのヅケを赤ワインでアレンジ

通常のヅケの漬け汁は、みりん400ml、酒200ml、濃口醤油500mlを煮切った後、マグロ節をひとつかみ半入れて漉したもの。マグロ節の風味が際立っている。色は右が一番赤黒く、味も濃厚。左は色鮮やかで、赤ワインが赤身に独特の風味を与えていた。

マリネの新表現自由な風味付け

最後に新たなバリエーションとして、豚バラ肉とロースに異なるマリナードを用い、肉質の違いを際立たせた一皿を大垣さんに作っていただいた。流通の高速化や素材自体が良くなったことで、今やマリネの効果で主となるのは、保存より風味付けと大垣さんは話す。「マリナードを作る時、ソースや付合せを考える感じで素材を選びます。バラ肉は脂をさっぱり味わうために甘酸っぱくいこうとか、ロースは脂が少ないから、チョリソーで脂と風味を補って…など。素材の相性重視でしょうか」。
 今回、バラ肉は爽やかさを演出するために、マリナードにヨーグルトやハチミツ、ライム、ケチャップ、グラニュー糖などを使用。一方、ロースのマリナードは、ピリッと唐辛子の利いたバスク地方のチョリソー、白ワイン、オリーブ油、キャトルエピスなどをミキサーにかけて作った。2時間ほどマリネしてから、それぞれローストして仕上げている。
 「両方とも効果が巧く出てます。バラ肉は甘酸っぱくてほろほろとして、ロースはピリッとして驚くほどジューシー!」と堀内さん、思わず破顔。川崎先生は「ヨーグルトの乳酸やライムのクエン酸など酸の種類を変えても、マリネの幅が広がります。リンゴとかトマト汁でもできますよ」と力説する。
今回の実験の感想として、大垣さんは「食べ比べてみて、マリネの有無の違いに驚きました。例えばオーストラリア牛ならマリネする、和牛ロースならしないなど、肉質や部位によって選択できるということが再確認できました」と、ますます理解を深めた様子。堀内さんは「酢〆の前に塩〆をしないと、あんなに味がヒドいとは(笑)。今までやってきたことが間違いないと知れてよかったです」と語る。
 実験を通じて、肉質の変化や風味付けというマリネの効果を確認できた。またいわゆるマリネの枠組みを超え、寿司の仕事に応用したり、マリナードの素材を自由に組み合わせたり、進化したマリネの姿も見えた。素材の品質向上により、下処理としてのマリネが必要なくなりつつあるのも事実。しかしそれもマリネの様々な効果を知った上での表現の一つ、とも言えるだろう。

大垣シェフ最新マリネ 大垣シェフ最新マリネ
高座豚骨付きロースのマリネ ローストバラ肉のマリネサラダ マンゴー 新ゴボウ

淡白で肉質の軟らかいロースは、マリネすることでチョリソーの脂の風味をまとい、均衡の取れた味わいに。バラ肉はヨーグルトとハチミツの酸味が、脂の味わいを爽やかなものにしている。マリナードの風味が足りない要素を補い、皿の完成度を上げた。ブイヨンで茹でた後、赤ワインビネガーでマリネした新ゴボウと、甘酸っぱいマンゴーを添えて。ソースはサバイヨンで、香ばしいクルミを散らしている。

『あまから手帖』2010年9月号より転載