料理理科 9限目「燻製の応用」

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燻製と聞けば、ハムやソーセージなどヨーロッパのものをイメージしがち。しかしよく考えてみれば、日本食文化の中心的存在である出汁のメイン素材・カツオ節も、カツオを茹でて乾燥させた後、煙をまとわせた燻製品。子どもの頃からカツオ節のスモーキーさに慣れ親しんできた日本人は煙の風味が大好きであると考えられ、それが今の密やかな燻製ブームを支えているのかもしれない。農学博士・川崎寛也先生は、「燻製の香り、即ち燻香はどの国の人にも好まれる傾向があります。甘みやうま味、メイラード反応の香ばしさとともに、普遍的なおいしさのひとつかも。ただ日本は地に根付いた味噌や醤油など発酵食品が豊富だったので、保存目的としての燻製が少なかったという背景もあります」と話す。
 では、そもそも燻製とはどういったものだろう。基本的なプロセスは、肉などの素材に塩をして脱水した後、風を当てて水気を除く。そして、1000℃以下の低温・不完全燃焼の状態で木(チップ)を燃やし、発生した煙を当てるというものだ。かつては、脱水と塩、菌の繁殖を抑える煙の性質により、保存性を高めるのが目的だった。しかし、今では風味付けのひとつとして認識されてきている。
 さらに、川崎先生は「木の熱分解で生じた煙の香気成分の多くは水に溶けます。この性質に着目すると、煙を当てることで肉の表面の水分に香気成分が溶解。そしてこの成分が肉が保有している水分に染みて拡散していくという燻製のメカニズムが分かるでしょう」と話す。

燻製のメカニズム

今回の実験には、煙を操るプロであり、シャルキュトリー(豚肉加工品専門店)を営む『METZGEREI KUSUDA』の楠田裕彦さんと、日本料理に携わりながらも調理の科学的背景に着目し続ける『修伯』の吉田修久さんにご参加いただいた。

煙は水溶性?牛脂と赤身で確認

最初に、煙は本当に水溶性かどうかを確かめる実験をした。水分量がほぼ0%に近い牛脂と約65%が水分である赤身。それぞれを同量にカットし、庫内温度60℃のスモーク機に25分間入れ、煙の付き方を比較してみた。
 楠田さん「見た目は、両方ともやや茶色くなっていますよ。表面の香りは牛脂のほうが強いような。焼いて、試食してみましょう」。
 吉田さん「牛脂は最初に香りのインパクトはあるけど、噛むほどに深く煙の風味を感じるのは赤身。肉のうま味もより感じます」。
 Dr.川崎「牛脂は、主に表面に香気成分が吸着したと考えられます。中まで香りが浸透していない。赤身は内部まで煙の香気成分が拡散している。だから、咀嚼すれば時間差をもって香りを感じます」。
 この時間差があることによって、人の脳は香りの拡がりをより感じるという。また香りと味の相性がよければ、うま味も一層強く感じられると川崎先生は付け加えた。

【実験1】煙の溶解性を調べる 【実験1】煙の溶解性を調べる

手前に赤身、奥に牛脂を置いて燻製。煙に触れる面積に差がないように、同じ大きさのもので実験した。なおドイツ製のスモーク機では、ボタンで機械内の温度や湿度が調整できる。

『METZGEREI KUSUDA 芦屋店』楠田裕彦さん 『METZGEREI KUSUDA 芦屋店』
楠田裕彦さん

ドイツなどでの修業を経て、シャルキュトリーを開店。「サラミや生ハムを3週間もモミの木の煙をかけて真っ黒にするなど、個性的な燻製もありました。エグミは強いけど、クセになる味わいですよ。そもそも燻製は保存目的でしたが、今は風味付けがメインですね」。

『修伯』吉田修久さん 『修伯』
吉田修久さん

フランス料理などの経験を生かした、個性溢れる日本料理を供す。「燻製とは意識していませんでしたが、日本料理ではカツオのタタキや焼鳥など、火を入れながら炭などの煙の香りをまとわせることが多いです。煙を使って、今までにない香りを表現できれば、面白いですね」。





温度によって香りに差。甘い?それとも煙い?

肉の大きさや望む香りによって、楠田さんは、温度・湿度が調整可能なドイツ製スモーク機と、アナログな直下型スモークハウスの2つを使い分けている。低温を保つには機械でなければ調整が難しいとのことだ。「香ばしさを求める場合は温度を高く、甘くて淡い香りが合うものは庫内温度を低く設定します」と話す。
 そこで、庫内温度によって、どのように香りが変わるのかを検証した。一方の豚バラ肉は60℃、もう一方は70℃でスモーク機に25分間入れて燻製にする。ちなみに庫内温度は、木を燃やして発生した煙の温度と、内蔵のヒーターの温度を掛け合わせて調整する。
 吉田さん「低いほうが甘く、ミルクのような香りですね。高いほうは煙っぽく、香りも強い」。
 楠田さん「70℃の方は、スモークハウスで高温の燻製にした時の風味に近いです」。
 Dr.川崎「60℃で甘さ、70℃で煙っぽさを感じたことから、異なる香気成分が発生したと考えられます。また、温度が高いとメイラード反応は促進されるので、甘い香り成分が焦げ臭の成分に変化したのでは?」。
 川崎先生によれば、木の燃焼温度が低い場合に燃えるのが、セルロースやヘミセルロースと呼ばれる成分。これらは木の細胞壁の枠組みを作り、強化するのだが、燃えるとキャラメルのような甘い香りが出る。庫内温度60℃の肉は、この香りが付いたと考えられる。一方、燃焼温度が上がれば、細胞壁の間を固める役割を持つ、フェノール化合物からなるリグニンが燃え、スパイスやバニラ、煙らしい香りを放つ。70℃の方には、この香りが付いたのだろう。つまり、温度によって同じ木から発生する煙の匂いは、甘いものから、より刺激的なスパイスっぽい香りに変わる。どのような香りを付けたいかによって、木を燃やす温度を調整する必要があるようだ。

【実習2】温度による燻香の違いをみる
庫内温度を60℃と70℃に設定して燻製をかけた。低い温度で甘い香り、高い温度で煙っぽい香りを感じたことから、木(チップ)の燃焼温度も60℃では高温、70℃では低温だったと考えられる。また60℃の肉の方が茶色いのは、スモーカーから出してから、時間が経っているためである。 温度による燻香の違いをみる


肉の表面を乾燥させると煙がよく浸透するワケ

楠田さんは燻製にかける前の下処理として、肉に風を当て乾かす必要がある、と力説する。「ドイツでもそう学びましたし、実際肉の表面が赤みがかって硬くなる程度に乾燥させたほうが中まで香りが入ります。色もキレイに燻せるんですよ」と。煙の香気成分は水溶性であるのに、乾燥させる=水分を減らしたほうがいいとは、やや矛盾を感じる。そこで、乾燥の有無による、煙の入り方を比較した。
 Dr.川崎「乾燥させていないものの方が表面の香りは強いですね。試食してみましょう」。
 吉田さん「全然違いますね! 乾燥させた方が焼き色も黄金色、噛むほどに香りが拡がります」。
 Dr.川崎「保存性を高めるための慣習的な下処理かな? と思っていたのですが、確かに乾燥した方により香りが入っています!」。
 このメカニズムについて、川崎先生は“濃度”がキーワードと話す。「風を当てれば肉表面の水分は減ります。そこへ同量の煙を当てるのだから、表面の水に含まれる煙成分の濃度は高くなる。さらに煙の成分は外→中へ、つまり濃度の高→低へ拡散するが、濃度差があるほうがより進む。だから、表面の水分量が少ないほうが、内部に燻香が拡散したのかもしれません」。しかし乾燥が必要だからと言って、表面がカラカラでは香気成分は付着するだけで、内部に拡散しない。余分な水分を除く、適度な乾燥が必要といえるだろう。

実験3/乾燥肉に燻製をかける

【実習3】乾燥肉に燻製をかける
冷蔵庫で一晩風を当てた豚バラ肉と、何もしない豚バラ肉を、60℃のスモーク機に25分間入れた。燻製にかけた後、味わいを見るために焼いて試食した。

臭みが和らぐ?燻香のマスキング効果

最後にお二人に煙を意識した新・メニューを考案いただいた。楠田さんはフランスの伝統的な血のソーセージ、ブーダンノワールをアレンジ。「南仏やスペインでは米がとれることもあって、ブーダンノワールに米を入れます。栗を入れる地域もあるんですよ」と。そこで、米にも燻香を付けてみようと考えたのだとか。
 楠田さんはこれまでにも、塩や砂糖、ドライフルーツや生の野菜などを燻製にしてみたことがあるという。「米などの乾物は水分が少ないだけに香りが付きにくいです」。何度かチャレンジの後、燻製米が完成。生米のまま60℃で1時間スモーカーに入れると、米は黄色くなり確かな燻香が感じられるようになった。この米を湯がいてブーダンノワールに入れ、さらに燻製米を炒めたものも添えた。
 吉田さん「とにかく旨い! 血の旨み、煙の風味が際立っていて」。
 楠田さん「でもブーダンノワールに燻製米を入れると、燻香が血の風味に負けているような気が…。うまく調和して、全体の味は深くなった気がするのですが」。
 Dr.川崎「実は燻香には、肉や血の臭みをマスキングする効果があります。香りは消えても、ソーセージの血の旨みのみが際立ち、濃厚な味わいとなったのでしょう」。
 中に入れた米は血の旨みを引き立て、添えられた米は燻香を口内に運ぶ。楠田さんの燻製米を掛け合わせるという発想が、風味付けの相乗効果を得た、というわけだ。

燻製米を入れたブーダンノワール

燻製米を入れたブーダンノワール
ブーダンノワールは、少ない水で茹でた燻製米と、豚の血液、豚の背脂、玉ネギ、パセリ、塩、香辛料などを詰めてボイル。それをソテーし、鴨足の肉の入ったマッシュポテトと一緒に塩・コショウ、オリーブ油で炒めた燻製米を添えた。ブーダンノワールにナイフを入れると、ぷっと赤黒い中身が飛び出し、炒めた燻製米にソースのようにうまく絡み付く。ほのかな燻製の香りと血の風味が見事によく合う。

煙の風味のみを摘出!? 燻製の斬新なデザイン

一方、吉田さんは斬新な煙の表現を試みた。燻煙には木材や草などを使うことが多いが、今回使用するのはなんとウニの殻。それを燃やした煙を泡にしてウニと合わせた一品を作るのだ。
 「浜でやる漁師料理の、残酷焼きからイメージしました」と吉田さん。まずは炭をおこし、ウニの殻を燃やして出た煙を大きなビニール袋で回収。そしてここで…楠田さんが試行錯誤の上、60℃で3時間半燻製して完成した昆布が登場。二人の料理人のコラボレーションだ。これでとった出汁に乳化剤を入れ、ポンプで煙を送り込むと、ぶくぶくと泡が立ってきた。楠田さんも「初めて見ました!」と興味津々。この泡を生ウニやサザエの上に盛った。
 楠田さん「口に入れた瞬間にまず香って、泡が弾けるごとに燻した磯の香りを感じます。美味しいです!」。
 Dr.川崎「ウニは生なのに焼いた香ばしい香りがします! 加熱していないのに煙の味がする、ユニークな一品ですね」。
 吉田さん「香りと共にイメージが拡がる印象に残る料理かと…」。
 Dr.川崎「香りは記憶を呼び起こしますから。浜で薪を使って魚介を焼いた経験などを、この一品は思い出させますよね」。
 川崎先生は、燻製を究極的にとらえると、食べ手にとっては食材と煙が同時に口の中に入ることだ、と話す。数分だけ燻す瞬間燻製なるものもあるが、スプレーやスポイトで口中に煙を取り込む方法も考えられるとのこと。吉田さんの煙を泡化した燻製も「新しい煙の表現、巧みに煙をデザインできていると思います」と感想を述べた。
 今回の実験を経て楠田さんは「とにかく吉田さんの燻製には驚きました。磯の香りと燻製の香りが見事に調和していて。燻製の面白さは“香りと食材の調和を図る”ことだと思って日々ハマっているのですが(笑)、この調和を見つめ直す刺激になりました」と。吉田さんも「煙が素材を引き立てて“美味しく”し、味を強調することを実感できました」と話す。
 どの素材の煙を、どんな食材にまとわせるか。燻製のメカニズムや煙の性質を知れば、その選択肢はぐっと増える。煙のみを巧く抽出する方法もみえた。より素材のおいしさを強調するために、煙をうまくデザインするという、燻製の“これから”を感じられた。

唐津産生ウニの残酷焼き ウニの殻の瞬間スモーク

唐津産生ウニの残酷焼き ウニの殻の瞬間スモーク 唐津産生ウニの残酷焼き
ウニの殻の瞬間スモーク

燻製昆布でとった出汁は、ほのかな煙の香りとともに、昆布のうま味をより強く感じられる。この出汁をベースに生ウニと軽く火入れしたサザエを盛り、刻んだキュウリとミョウガ、ナスの塩漬けを添えた。天にはウニの殻のスモーク泡。泡の乳化剤にはグリセリン脂肪酸エステルを使用し、煙の香気成分が水溶性であることを利用して泡化した。この泡と一緒にウニなどを味わえば、磯の香りと燻香が一気に広がる。

『あまから手帖』2010年10月号より転載