プロ×プロ 料理を深める技
第13回「中国料理の醤」

大阪市西区新町1-21-2
tel.06-6532-7729
今や1カ月前に予約が埋まる人気店に。毎年中国を訪れ、現地の最新事情を研究。数多ある醤(ジャン)の使い手として知られる。


大阪市中央区宗右衛門町3-7
tel.06-6212-6303
伝説の名割烹『天神坂 上野』を経て独立。グローバルな視点で素材とレシピを吟味し、日本料理に卓越したセンスで新風を吹き込む、注目の熱き才人。
発酵空豆から八角まで、醤の素材もまた無限
「いったい中国全土で何種類あるのか、分からないですね。おそらく、数えることも不可能だと思います」と大澤さん。中国料理の味付けで、ある時は大黒柱に、またある時は隠れた鋭い裏方になる働き者調味料、醤。なかでもこの日は、四川料理の要となる各種の醤の使い方を、いま、注目度の高い中国料理店で教わった。
この日の受講生、杉本さんがまず驚いたのはキッチンにずらりと準備された醤の、バリエーションの豊富さ。「これでもほんの一部ですよ」と大澤さんが用意してくれた4種の醤は、(1)通常の豆板醤。(2)唐辛子とニンニクがより利いた香辣醤。(3)山椒とウイキョウ、八角の利いた麻辣醤。(4)空豆をしっかり発酵させたもので、濃密な麹の香りを放つ四川のピーシェン豆板醤。この4種をブレンドしたものを、同店の名物、麻婆豆腐に使っている。それぞれの醤は、単品や別の組合せで多彩な料理に使われる。4種の醤の中で真っ先に杉本さんが興味を持ったのが(4)のピーシェン豆板醤だ。「浜納豆に近い味と香りで、そのまま日本料理にも使えそうですね。僕が昔働いていた『き川』で、浜納豆を使って醤油を造っていた頃を思い出しました」と目が輝いた。

(左)空豆を発酵させたピーシェン豆板醤(写真一番手前)は、一般に想像される豆板醤とはまるで異なる、麹の発酵臭が特徴。
(右)同店の名物、麻婆豆腐。深みのある辛さ、甘さ、コクなどのバランスが見事で、後を引く。
炒めるべき醤は、きっちり火を入れるべし
1皿目は、まず四川流の回鍋肉だ。多めに油をひいた鍋で豚バラ肉を炒めつつ、香辣醤、トーチ醤、甜麺醤の順で投入して醤とともに肉を炒める。仕上げにさっと野菜を炒めたら完成だ。「醤を入れる順番は決まっているんですか?」との杉本さんの問いに、大澤さんは「はい、この順番でないとダメなんです。香辣醤、トーチ醤の2種類はしっかりと炒めることが大切。このタイプの醤は、炒めが甘いと旨みと香りが出ないし、唐辛子の青臭さが残ってしまう。逆に甜麺醤は、炒め過ぎると苦みが出るんです」と理路整然。醤の特性によって、火入れ具合を調整すべきなのだ。
また、最後に野菜を強火で仕上げる時以外は、ずっと中弱火にする理由は「これぐらいの火力が一番醤の香りがよく出るからです。火が強すぎると、醤が焦げてしまいますしね」と、またも理詰めである。料理を試食した杉本さん、「味が奥深いというか、いろいろな味が一体となって奥行きが出てる。醤ってやはり、面白い素材ですね」と、思わず顔がほころんだ。

(左)醤を炒める時は、焦がさないよう中弱火で。
(右)3種類の醤で、味わいにぐっと複雑味が増した回鍋肉。食べ終わった後も心地良い味の余韻が変化を繰り返す、ドラマチックな美味だ。
醤のスープで煮込む技も、四川料理の隠れた定番
次に挑んだのは、揚げた魚を醤のスープで煮込む料理。四川では、鯉などの川魚に用いられる伝統的な料理法だそうだ。
この日は鯉ではなくガシラを使用。まずは180℃のたっぷりの油でガシラを唐揚げに。その後、空にした鍋に油大さじ3杯ほどを入れ、ピーシェン豆板醤をのばしながら丁寧に炒めて、醤の香りと旨みを引き出す。その後、鶏のスープを300mlほど加え、炒めた醤を溶かす。それから、揚げたガシラを加えて煮込む。中弱火で約15分、スープの量が約半分になるまで煮込み、仕上げに中国醤油、紹興酒、砂糖を加え、片栗粉でとろみをつけたら完成だ。
ここでも大切なのは「スープを入れる前に、きっちり醤を炒めて旨みを出しておくこと」と大澤さん。試食した杉本さんは「さっきの料理とはかなり路線が違う。こちらは一つの醤の香りをシンプルに生かす使い方ですね。麹の素朴な香りが魚とよく合って、新しくも美味しいガシラ料理に出合えました」と目を細める。
大澤さんは「今日は四川の豆板醤を中心に話しましたが、中国には他にもエビの醤や、発酵唐辛子の醤など無限に醤があります。いろんな醤を使いこなすのは、中国料理の醍醐味の一つですね」と静かに語ってくれた。
撮影から数日後、杉本さんと話をした。「中国料理に、あれほど多彩な醤があることに驚きました。和食の味噌は、僕もかなり研究しましたが、中華にはかなわない。僕はさっそく、小エビの醤、蝦醤を取り寄せて焼き飯に使いました。ピーシェン豆板醤もちょっとブレンドして昨日サワラやメバルの煮付けにして出しました。お客さまにも好評でしたよ!今後もいろいろと、面白い美味しさを開発できそうです。大澤さんありがとうございました」と声を弾ませた。

(左)ピーシェン豆板醤を味見した杉本さん「和食に合いそう」と早くも反応。
(右)「この料理法は、和食にも応用すべきですね」と杉本さん。

(左)ピーシェン豆板醤の風味を溶かしたスープは、煮込みながらじっくりガシラの身に染み込ませる。
(右)ガシラのピーシェン豆板醤煮込み。醤の深いコクと香りが、淡泊な魚と絶妙の相性。
(あまから手帖08年6月号より転載) 文/寺下光彦・撮影/東谷幸一