冬の旬味で心身を癒す。水辺の離れ宿『星のや京都』を訪ねて

真冬の京都· 嵐山で、船を待つ。京都は冬が美しい、と誰かが言っていた。
「星のや京都」は嵐山の渓谷沿いに佇む“水辺の私邸”。平安貴族が別邸を構え、歌を詠んだこの土地で、彼らが冬に嗜(たしな)んだ練香を衣服や客室に薫(た)き染め深呼吸。貸切の屋形舟で冬景色とともに鴨朝鍋を味わい、季節湯と漢方茶で身体の芯から温まる――。香りと温活をテーマにした特別プランを愉しみに冬のある日、渡月橋から大堰(おおい)川を遡り、結界を超えた。

送迎船に乗って独創的な世界へ

冬の嵐山を目指す。雪は降っていない。渡月橋の賑わいを背後に感じながら、大堰川の袂にある舟待合に入る。暖かい。ローチェアに身体を埋めると、目線の先に美しい庭園が広がり、深く息を吐く。
「お待たせしました」。
船が到着した知らせを受けて外に出ると、えんじ色の羽織姿のスタッフが送迎船の上からにこにこと迎えてくれた。船で宿を目指す。雪は降っていない。
「雪が降るとあたり一面真っ白で、水墨画のような景色が広がるんですよ」。
紅葉もまばらな渓谷を見つめ、雪景色を想像した。少し前まで翡翠色の川面でボートを漕ぐ二人組や、観光客を乗せた保津川下りの遊船、並走して甘味やイカ焼きを提供するチャーミングな売店船などで賑わっていた大堰川も、この時期はスロウなペース。手を振られ、振り返す。なにごとも急ぐことはないのだ。

送迎船のスタッフ
送迎船で宿まで約15分のアプローチ。
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船が小さくカーブする。すると結界を超えたかのように、あたりが静かになった。「星のや京都」が現れる。船着場に姿勢よく並んだスタッフが、お辞儀をして歓迎してくれる姿が嬉しく照れくさい。
“その瞬間の特等席へ。”をコンセプトに、国内に6施設、海外に2施設を展開する「星のや」ブランド。なかでも「星のや京都」が位置する奥嵐山は、平安貴族が別荘を持ち、四季折々の渓谷の風景を愛でた場所である。江戸初期には豪商·角倉了以(すみのくらりょうい)によって別邸が建てられ、明治中期に創業した旅館の築100年の建築を今に受け継ぐかたちで、2009年に開業した。

船を降り、案内されて庭路地を歩く。一分の隙なく打ち水がなされ、足元の苔の静かな美しさに心ふるえる。南禅寺や無鄰菴(むりんあん)などを手がける「植彌加藤造園」の職人が週に3回ほど訪れ、自然が自然であり続けるよう愛を持って整えているのだという。
どこからか幻想的な音が響いてくる。「水の庭」と名付けられた池庭の真ん中で、スタッフが楽器を奏でている。波紋音(はもん)、おりん、鏧子(きんす)といって、仏具からイ ンスピレーションを受けた楽器を組み合わせています」と、案内のスタッフが説明してくれた。水が滴る音と、歓迎の音色。静寂が生まれ、非日常が現れた。

水の庭
100 年前、庭師・小島佐一が作庭した「水の庭」。
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今回の旅の目的は、「奥嵐山の香温滞在」なのだった。チェックイン後、老舗「山田松香木店」の指導を受けたスタッフのサポートのもと、練香の調合を愉しむ。源氏物語の32帖「梅枝(うめがえ)」にも登場した「六種(むくさ)の薫物(たきもの)」として知られる黒方(くろぼう)と梅花の2種から、「平安貴族が冬のお祝い事に薫いた」という黒方を選んで練り合わせる。部屋に戻ると、自作した香りを香炉で薫き染めてくれていた。冬の太陽にじんわり包まれるような優しい香り。

特別室「月橋」
特別室「月橋」。全25室すべての部屋から大堰川が望める。
練香の調合
自分で調合した練香を客室に薫き染める。
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「真味自在」で冬の美味を味わう

夕食は「星のや京都ダイニング」で会席料理「真味自在」。一品目、大和橘の葉がぽんと一枚のせられたうつわの中身は、スッポンのだしのみで炊いた聖護院かぶら。味噌の香りに驚くと、「スッポンの血で作ったブーダンノワールと八丁味噌を合わせました」と料理人歴 30年の和食統括料理長·石井義博さん。「七十二候の食材を大切に、振り柚子ならぬ、振り大和橘を施しました」と嬉しそうに説明してくれた。

「すっぽん 蕪風呂吹き 大和橘」
料理は会席「真味自在」24200円から。先附の「すっぽん 蕪風呂吹き 大和橘」。
「羽太の生ハム締め 白山葵」
生ハムの旨みが心地いい「羽太の生ハム締め 白山葵」。うつわの上に雪が降った。
「寒鰤 えごまの葉とその醤油漬」
雪笹のうつわが冬らしいお造り「寒鰤 えごまの葉とその醤油漬」。
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酒肴のひとつ、白身魚のハタは昆布締めならぬ、生ハム締めに。「本ワサビで召し上がるのが一般的ですが、白ワサビのほうが合うのではとかけてみたら、ピッタリ合いました」と雪が降ったような一品に。主菜の鰻と熊肉の組合せは、「鰻には土のものが合うんです。熊は土の中で冬眠するので試してみたらおいしかったんですよね。口直しの栗のピクルス はハチミツと酢で甘酸っぱく。熊はハチミツが好きですから」―― カウンターの中と外でおしゃべりしながら一品一品に込められた物語を聞き、食事をする時間も心温まる。

「鰻 熊 丹波ワイン/鴨 八つ橋 九条葱」
主菜「鰻 熊 丹波ワイン/鴨 八つ橋 九条葱」は赤ワインと。パリッと焼いた鴨肉は八ツ橋をスパイスとして加えてアレンジ。
「牡蠣 猪とそのラルド 菊菜摺り流し」
香り重なる煮物椀には白ワインを。「牡蠣 猪とそのラルド 菊菜摺り流し」。
「百合根と堀川牛蒡のモンブラン仕立て アマゾンカカオ」
デザートは「百合根と堀川牛蒡のモンブラン仕立て アマゾンカカオ」。フランス料理出身の料理人とアイデアを出し合う。
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石井料理長とダイニング外観
右/石井さんは京都などで日本料理の修業後、2002 年『国立文楽劇場 文楽茶寮』の料理長に就任。その後、星のや和食部門の統括料理長を務め、伝統的な日本料理の精神や基礎を大切にしながら各国の料理の知識を取り入れ、革新的な美食を追求し続けている。左/夕食は「星のや京都ダイニング」にて。カウンター席のほか半個室も用意(席の指定は不可)。
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心地いい気分のまま部屋へ戻ると、漢方茶が用意されていた。時期によって柚子、松、大根に変わるという季節風呂に入り、お茶を淹れて飲む。窓の向こうにはトロッコ列車の線路が放つ小さな光、静寂。ほかほかの身体のまま、深く眠った。

「奥嵐山の香温滞在」の漢方茶
夕食後、客室に用意される草根木皮のお茶「揚妃(ようひ)」を愉しむ。エゾウコギ、クマザサ、ナツメ、ヨモギ、ミカンの果皮の5 種をブレンドした「奥嵐山の香温滞在」オリジナル。身体を温め、入眠を促す。
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屋形舟に揺られて鴨の朝鍋で温まる

朝8時半。枯山水を模した「奥の庭」で「水辺の深呼吸」を行う。呼吸法を重視したストレッチで身体をほぐす。朝にゆったり呼吸すると、1日がとても長い。万両の赤い実が、夜露をふくんで揺れている。

水辺の深呼吸
「水辺の深呼吸」は樹齢400 年の紅葉の下で(毎朝8 時30 分~9 時、季節により変更あり)。
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10時40分。貸切の屋形舟「翡翠」に乗り込み、端正に用意された鴨鍋を囲む。平安貴族も愛したという鴨肉。笠を被った船頭さんが、竿一本で力強く舟をこぐ。カツオと昆布のだしがふくよかで、平安時代の代表的な練香「六種の薫物」から着想を得たという6種の調味料を少しずつ付けて食べるのもたまらない。すれ違う舟に乗った観光客がこちらに気づき、「Amazing!」と言って笑った。

屋形舟「翡翠」で鴨の朝鍋
プランの朝食は専用の屋形舟「翡翠」を貸し切り、鴨の朝鍋(10 時40 分〜 80 分間)を。菊と麹で発酵させた「菊花」、煎り酒と柚子を合わせた「梅花」、焙じ茶を粉にして山椒と混ぜた「荷葉」など調味料も楽しい。防風窓が付いた仕様の舟で暖かく食事ができる。
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屋形舟「翡翠」で鴨の朝鍋の調理中
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お腹も心も温まり、帰りの送迎船の出発まで「ライブラリーラウンジ」で一息つく。窓辺に置かれた双眼鏡で遠くを眺めてみたら、舟遊びをする人たちの楽しそうな顔が大きく見えた。日常に戻りたいような、戻りたくないような、不思議な気持ちである。まだ雪は降っていない。

「空中茶室」
「ライブラリーラウンジ」から大堰川に迫り出す「空中茶室」。
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