『粟玄』の和洋[大阪]老舗おこし屋のモダンな名品

歴史あるおこし屋が続々と閉業する中、おこし界の寵児と言われる『粟玄』は、今日も大盛況。9割の客の目当てが、この店の2代目が考案した“和洋”というお菓子だ。一粒ずつ和紙にくるまれたのを開けば、おこしとは似ても似つかぬゴツゴツした姿。けれど、アーモンドを飴でコーティングするは、紛うかたなく、おこし作りの技。これが甘辛両党どんな方にも贈って喜ばれると大人気。そんな和洋のおいしさの理由や生まれた背景、そして、そもそも岩おこしが大阪名物とされる由来など、掘り起こしていこう。

大阪名物・岩おこしのこと

おこしとは、砕いた米に水飴や生姜、ゴマなどを混ぜて固めたお菓子。おこしに似たお菓子は、日本全国はもとより世界中にもある。だけど、米どころでもない大阪で、何故、おこしが名物となったのだろう。

謂(い)われには諸説ある。
全国の年貢米が大坂に集められた江戸時代。土佐堀沿いの蔵屋敷周辺で、砕けた米が安く手に入ったので、たくさん作られたとか。いやもっと昔、太閤秀吉が大阪城を築城し、大阪の街が発展した頃、「身を起こし、家を興し、国を興す」縁起の良いものとして人気を得たとか。はたまた、水の都・大坂のこと、運河工事の度に大岩が出るのを「大坂の掘り起こし岩おこし」と揶揄した駄洒落にあやかって、また岩のように固いから、岩おこしと命名して売り出したとも。またもっともっと昔、菅原道真公が九州大宰府へ流される途上の大阪で、おこしを献上されたなんて逸話もあったり。

ともあれ。江戸時代、「天下の台所」大坂では原料が手に入りやすく、身を起こす縁起の良いものとして大阪人に愛され、大阪名物として全国的に有名になっていったのは確かなようだ。

大阪・住吉東『粟玄』外観
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大阪・住吉東『粟玄』店内
店頭には「金の森」「うす霧」「和洋」「コーヒーおこし」「玄豆」「抹茶玄豆」などのおこしが並ぶ。
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和魂洋才の「和洋」爆誕

長らく大阪名物とされてきたおこしだが、なめらかプリンとか蕩ける系のものが持てはやされる昨今、岩のように固いお菓子は、あまり人気がないのが実情。実際、半世紀前は大阪に28軒ほどあったおこし屋は、今4軒ほどしか残っていないとか。
そんな中、おこし屋の2代目も、ある日、自分の店の商品を見渡して、知人宅へのお土産に困ったそうで。「人にあげられるものを作ろう」と決心した。この人こそ昭和25年創業の『粟玄』2代目・日笠一男さんだ。

「人においしいと言われるものを作ろう。でも、みんなと同じものを作ってたらあかんし」と日笠さんは考えた。そしてまず基本的なおこしの配合を崩し、米ではなく、アーモンドをおこしの技を使って砂糖と水飴で繋ぎ、飴で繋ぐためどうしても甘くなるからと、コーヒーの苦みを足し、まろやかにしようと生クリームを加えた。これが、スマッシュヒットとなった「和洋」だ。

大阪・住吉東『粟玄』和洋袋入り
和洋(袋入)1080円~。
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ガリリと噛めば、ミルクキャラメルのような、一種ノスタルジックな甘苦さと香ばしさが広がる。渋茶にも、紅茶や珈琲にも、またスコッチやブランデーとも相性がいい。まさに名の通りの“和洋”折衷にして、和魂洋才の品だ。

品切れ続出。たくさん作れない理由

「品切れでお客様にご迷惑をおかけしてしまっているんですが、どうしても大量生産できないんです」と日笠さんは恐縮しながら言う。
和洋は、40人ほどのスタッフがローテーションを組んで、ひたすらに手作りしている。その上、和紙で一粒ずつくるむのも手作業。

「おこしというのはね、目で見て作るんです。火を入れて沸いたときの飴の状態を見る。100度程度だと冷めたときヌガーのように歯にくっつくんです。もっと温度を上げないとパリッとしない。でも火が入り過ぎると油分が暴走してどんどん熱くなってしまう。その日の気温、釜の1つ1つでも違う。沸騰してきれいにふわっと泡立って、気泡が潰れない最良の状態は、職人が目で見て判断するしかないんです。」

大変な手間暇と技が必要で、しかも材料も高騰し続けているらしい。でも、「自分が納得できるものしか作りたくない」という職人気質の日笠さんは、妥協することなく、おいしいお菓子を作り続けている。最近は、2人の娘さんも手伝ってくれているので、これからも、大阪名物の進化系・和洋は、私たちの良き手土産として活躍し続けてくれそうだ。

大阪・住吉東『粟玄』和洋箱入り
和洋(箱入)2160円~。店頭では少し不揃いな「割れ和洋」(袋入)を販売することも。
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「和洋」が買える場所は

住吉大社近くにある店舗と公式オンラインショップのみで販売している和洋(オンラインショップは現在は中止。2026年1月中旬頃から開始予定)。毎日12時頃には完売するため、取り置きの予約をするのが吉。来店の1営業日前の9:30~15:30に電話のみで受け付けている(先着順)。

writer

団田芳子

danda yoshiko

食・旅・大阪を愛するフリーのフードライター。その地の歴史や物語を感じる食べ物・気質・酒が好物。料理人さんに“姐さん”と呼ばれると、己の年齢を感じつつもちょっとウレシイ。著書に『私がホレた旨し店 大阪』(西日本出版社)、 『ポケット版大阪名物』(新潮文庫・共著)ほか。