皿の上は、メディア──京都『cenci』の「端境期の饗宴」

京都を代表するイタリアン『cenci(チェンチ)』のコースは自由闊達です。10月半ばからの1カ月間に坂本 健シェフが供するワンデッシュは、リスペクトする生産者の食材を盛り込んだ「端境期の饗宴」。海外でのコラボ、持続可能な海を目指す活動、そして多くの作り手との出合い。「レストランはメディアになり得る」と話す坂本シェフが、今、伝えたいことが皿の上に溢れています。

発想の源は、タイの「カオヤム」

要素の多いワンデッシュだ。マイクロハーブの下には、2色のパプリカの薄切りに、柑橘と合わせた金糸瓜、ピーナツモヤシで和えたズッキーニ。川津エビの唐揚げと新イカのソテーがところどころに潜んでいる。その間を埋めるように、米のパフ。手前に枝豆のピュレ、真ん中には和梨とショウガのドレッシングを流している。味が想像できないまま、ざっくり混ぜていただくと…。意外やエスニックな味わいだった!

「端境期の饗宴」混ぜ合わせる
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ヒントになったのは、タイのライスサラダ「カオヤム」です。バンコクの市場に行くと、コブミカンや四角豆などの野菜、唐辛子やレモングラス、ナッツ、干しエビにジャスミンライスなどがセットになって売っていて。これを僕なりにどう仕立てるか。「カオヤム」の完成度を高めているのは、酸味と香りと食感だと分析し、要素を一つ一つ置き換えて再構築しました。

「端境期の饗宴」手順
左/金糸瓜の別名はそうめん南瓜。蒸して糸状にし、高知の柑橘「紅まどか」と合わせる。右/ピーナツモヤシを茹でてから粒感が残るようにフードプロセッサーにかけ、さっと炒めたズッキーニと和える。
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新イカのソテーと川津エビのフリット
左/明石で水揚げされる川津エビは、米粉をまぶし、鮮度を生かしてフリットに。右/ハリイカの子ども・新イカは、柔らかい皮ごとニンニクオイルでソテーする。
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果肉の大きい紅まどかをプチプチッと噛むごとに柑橘香が弾ける。レモングラスのような香りは、台湾のスパイス「馬告(マーガオ)」。ピーナツモヤシはナッティで、油脂の旨みもある。金糸瓜やパプリカのシャキシャキ感が小気味よく、米のパフがサクッとリズムを作る。その複雑味の中で、ひときわ存在感を放つのは、川津エビと新イカ。真っすぐに持ち味が伝わってくる。

10月の半ばから11月中旬までのコースでお出ししているのですが、この時季は食材の端境期です。冬になれば、カニにフグ、根菜と4番バッターの素材が出揃うでしょう。こうした強い食材は、手をかけすぎない方がいいと思っています。逆に、端境期は下位打線の食材たちを集めて、いろいろチャレンジができる。それが、この時季の料理の醍醐味です。新イカはハリイカになる前の皮の柔らかさを生かしたいし、川津エビはフリットで丸ごと食べるのがおいしい。ただ、それだけではレストランの一皿にならないので、多種の野菜の力を集結させて「端境期の饗宴」と名付けました。

発酵の“新味”を利かせて

和梨とショウガのドレッシング
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多種多彩な食材のまとめ役となっているのは、真ん中に流した和梨とショウガのドレッシングだ。味わいはマイルドで控えめだが、旨みの余韻が長い。決め手となるのは、2つの発酵調味料だった。

「カオヤム」のナンプラーを、自家製のエビ醤麹(ひしおこうじ)に置き換えました。2月に足赤エビの料理をお出ししていたので、余った頭に塩を合わせ、まずは魚醤を作って。そこに米麹を合わせて発酵させたのがエビ醤麹です。発酵の旨みを加えると日本らしさが表現できるのですが、醤油や味噌では和食っぽくなってしまう。それで、自家製することにしました。夏には鮎魚醤も仕込みましたし、そこに秋の香茸を合わせた醤麴も作ってます。

エビ醤麹と、エビの魚醤。
右が8カ月ほど発酵させたエビ魚醤。左が米麹を合わせたエビ醤麹。
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もう一つは、コレですと坂本 健シェフが手にしたのは、どぶ酢。宮城の『民宿とおの』四代目の佐々木要太郎さんが仕込む「とおののどぶろく」は、ピュアな米の旨みときれいな発酵香で世界的シェフからも注目されている。そのどぶろくに水だけを加えて醸したのが、どぶ酢だ。ヨーグルトのような乳酸の優しい旨みが、個性ある食材たちを包み込んでいる。

要太郎さんは作り手として尊敬できる方です。「今の米はリッチに育てられすぎていて、昔ながらの味わいではなくなっている」からと、雑草も生える普通の環境でアスリートのような米を作っています。その米の生命力が、どぶろくにも、このどぶ酢にも宿っているんですよ。

民宿とおのどぶ酢
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メッセージが溢れるワンデッシュ

坂本シェフは、京都で生まれ育った。90年代に一世風靡したイタリアン『イル・パッパラルド』で笹島保弘シェフと出合い、その独立に伴って『イル・ギオットーネ』へ。東京の丸の内店ではマネジメントも経験し、京都本店の料理長も務めた。

『イル・ギオットーネ』時代は、とにかく「旨く作る」ことに執着していて。すごく大事なことですが、料理で伝えられることは味だけではないと今は思います。開業前に訪れた山梨のワイナリー『ポー・ペイサージュ』で、「ブドウを選果せず、なるべく丸ごと使ってワインを造る」と聞いて、自然に寄り添う味づくりに心が動きました。自分の店の方向性が見えたのは、この時です。それから、野菜に魚介、生ハム、調味料まで、リスペクトできる多くの作り手に出会い、交流を重ねてきました。彼らから受け取ったバトンを、お客様においしく届けるのが僕の役割だと今は思っています。

「cenci」坂本 健シェフ
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2014年に『cenci』を開業し、11年目。「アジアベストレストラン」100位以内に京都で唯一ランクインしたり、国内外でのコラボイベントを行ったり。持続可能な海を目指した「Chef for the Blue」にも参加。「年々忙しくなっちゃって(笑)」と、坂本シェフは駆け抜けるように過ごした40代を振り返る。そして、迎えた50代。穏やかな口調の中に感じるのは、ブレない芯だ。

京都「cenci」内観
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開店当初は“日本の食材×イタリアン”を謳っていたのですが、ジャンルはもう意識していません。シンガポールでイベントした翌月には、現地のテイストも取り入れますし。レストランっていろんなことが伝えられる場所。一つのメディアだと思うんです。生産者の想いや水産資源の今、能登の現状など。僕が知り得たことを、皿の上に盛り込んでいます。うちのメニューには料理名がなく、食材を列記しているだけなのですが、どれも話せば長くなる食材ばかり(笑)。作り手の姿を思い浮かべると、いつも背筋がピッと伸びるんですよ。

例えば、パプリカは土づくりから始める飛騨の農家から届く。環境に負荷をかけない農法は、海に好影響を与える。その海で揚がる川津エビは、足が早いため値が付きにくいが、ファインダイニング(上質な高級レストラン)で供すことで漁師の労に少しでも報いることができたら──。「端境期の饗宴」には、坂本シェフが今、伝えたいメッセージで溢れている。

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writer

中本 由美子

nakamoto yumiko

青山学院大学を卒業し、料理と食の本を手掛ける東京の「旭屋出版」に入社。4年在籍した後、「あまから手帖」に憧れて関西へ。編集者として勤務し、フリーランスを経て、2010年から12年間、編集長を務める。21年、和食専門ウェブ・マガジン「和食の扉〜WA・TO・BI」を立ち上げ、25年に独立。フリーの食の編集者&記者に。産経新聞の夕刊にて「気さくな和食といいお酒」を連載中。