門上武司の旅vol1:岡山『松寿司』へ。三代目の包丁目に感じた店の流儀

年間1000軒以上外食する関西を代表するグルマン・門上武司。その食欲は、御年70歳を過ぎてなお旺盛だ。「アレが食べたい」と頭をよぎれば、もう居ても立っても居られない。日本全国どこへでも、トランクひとつで東奔西走。拠点の関西を飛び出して、各地の美食を訪ねる旅企画「皿までひとっとび」第一回目は、岡山『松寿司』へ。

昭和21年創業『松寿司』

岡山市内にある寿司屋さん。創業は、昭和21年。
玄関横の待合に腰を下ろし、庭を彩る緑や黒塀の気配に永い時間の経過を感じる。

岡山『松寿司』外観
岡山『松寿司』入口
岡山『松寿司』庭
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暖簾をくぐり店に入る。カウンターに座ったのだが、寿司屋特有の酢や魚類の匂いが全くしないことに驚いた。これは掃除が行き届いている証拠でもある。旧いカウンターだが磨き込まれた感じが漂っていて、おまけに水が流れる小さな溝が。これは汚れた手を洗うためのもので、こういった仕様が残っているのもなにか嬉しさを感じる。きりりとした雰囲気が今も生きているのだ。

初代から続く赤シャリ

突出しはもずく、長芋、海老。軽やかな酸味が胃袋に心地の良い刺激を与えてくれる。
握りのスタートはイカ。わずかな塩の効果もあり、甘みが際立つ。一貫目で気分が締る。と同時に、寿司飯が江戸前らしい赤酢であることに気づく。三代目大将の三宅一郎さんは、銀座の『すし幸』で修業された人。「やはり、三代目になって赤酢に変えられたのですか」と言葉を投げかけると「いいえ、初代からずっと赤酢なんです。初代の爺さんが江戸前の職人に習ったのでしょう。だから寿司自体はほとんど変わっていません。アテを出したりするスタイルは変わりましたが」とのこと。戦後すぐから岡山の地で赤酢の寿司を握り、多くのファンを集めてきた店の格というものに敬意を表したくなった。

岡山『松寿司』ご主人・三宅一郎さん
岡山『松寿司』突き出し
岡山『松寿司』イカ
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鯛の包丁目に店の矜持

二貫目は鯛。
カウンターの向こうで大将が鯛を切り出し、細やかな包丁目を入れていた。この様にこそ、『松寿司』の流儀が見て取れた。

握りを口に含むと、繊細な包丁目により甘みは増し、食感も幾分柔らかい。かすかな醤油と塩の力も借り、寿司飯との一体感が生まれる。瀬戸内の鯛を生かす一手間がなせる技はすごいと唸ってしまう。派手な仕事や豪華な組み合わせではない。むしろ地味に見える包丁の技が、三代も続く店の品格を保っているのだとしみじみ思った。

岡山『松寿司』カウンター
岡山『松寿司』鯛
寿司はネタと寿司飯のバランスである。寿司はネタと寿司飯のバランスが要である。寿司飯を生かすためにネタに仕事をする。
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マグロをふんわり包み込む握り。瀬戸内のサワラは飲み込むのがもったいないくらいの味わい。艶かしいアジの風情。ヒラメの堂々たる姿。シイタケの分厚いうまみ。キスの昆布締めは旨みの宝庫。穴子のねっとり感にうっとり。ゴボウとキュウリの出合いが終止符を打つ。

岡山『松寿司』シイタケ
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岡山『松寿司』マグロ
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四代目も東京の有名店で技を磨いているという。「三代目と同じ『すし幸』ではないんですか」と聞くと「私のダメ加減がバレるじゃないですか」と微笑み返し。このような軽妙洒脱な言葉のやりとりも寿司屋さん、カウンターならではの醍醐味であり、楽しみでもある。

岡山・路面電車
路面電車を眺め、古き時代の大阪や京都の街を思い出す。一度は乗ってみたいものである。
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連載「皿までひとっとび」

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writer

門上 武司

kadokamitakeshi

関西の食雑誌「あまから手帖」編集顧問。年間外食350日という生活を30年以上続けるも、いまだ胃袋健在…。ゆえに食の知識の深さはいわずもがな。
食に携わる生産者・流通・料理人・サービス・消費者をつなぎ、発信すべく、日々奔走している。