京都・河原町『喜幸』ではんなり味わう、おばんざいと川魚

夕暮れ時、ぽっと灯る「湯どうふ」の看板。木屋町の路地に『喜幸(きいこ)』が開業したのは、昭和24(1949)年のこと。年季の入ったL字のカウンターでいただくのは、名代の豆腐料理やおばんざいで、女将が投網(とあみ)で獲る川魚も名物です。お一人1万円弱で旬の味をしっかり堪能し、日本酒を2合ほど。身も心もほぐされた口福な夜の巻。

気前のいい3種のつき出し

年月を重ねた風合いに、身も心も包まれるよう。創業76年を数える『喜幸』のカウンターには、長らく通い来る常連たちが作る節度ある空気感が漂っています。その中に招かれるようにして、心地よく盃を重ねる。そんな大人の酒場です。

京都・河原町「喜幸」店内
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カウンターに立つ女将の浅井喜美代さんは、13年前に両親からこの店を引き継いだそう。「父の実家は、斜め隣の『賀茂どうふ 近喜(きんき)』で。四男でしたので、跡を継がんでええからと敷地の一角でここを始めたと聞いてます」。やらかい京言葉に心が和みます。

それゆえ、3種あるつき出しの一つは『近喜』の青大豆くみ出し豆腐。辛子酢味噌で赤コンニャクや細ネギ、その時々の魚介などを和えたてっぱいに、具だくさんのおから。どれか一つを選んでもいいし、全部いただいてもいい。2人連れなら、銘々に半量ずつを供してくれます。

「喜幸」のつき出し
つき出し。青大豆くみ出し豆腐とおからは、1人前880円で、てっぱい935円。写真はどれも半量で、3品1650円。
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くみ出し豆腐からほんのり香る青大豆の風味。味わいはしっかりと力強く、地酒のいいアテになります。この日は京都の「坤滴(こんてき)」を。きめの細かい「一番おから」をしっかりと炒って、別に炊いた野菜などの具と混ぜ合わせたおからは、しっとり感が格別です。

生け簀に泳ぐ季節の川魚を

カウンター前の水屋箪笥(みずやたんす)には、旬の味を記した手書きの短冊が何枚も。アンコウの肝や大根などの炊いたん、くもこの鍋などそそる文字が並びます。初めてならば、気になるのはカウンター脇の生け簀(す)。なんと浅井さんは賀茂川の漁業権を持っています。

「喜幸」の水槽で泳ぐハエ
11月の取材時は生け簀でハエが元気よく泳いでいた。
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「10~12月は投網でハエを獲るんですよ」。川魚は、からあげ、白焼、なんばん漬に仕立てるのが定番だそう。なかでも人気は、揚げたてを薄切りの野菜と注文ごとに南蛮酢で絡める、作り置きしないなんばん漬。ザクッとしたハエの歯ざわりが心地よく、ほどよい酢加減に盃が進みます。

「喜幸」のハエのなんばん漬
ハエのなんばん漬1430円。本来は野菜の下に盛るが、「お写真やったらこの方が」と女将の浅井さんが気を利かせて天盛りに。
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12月も半ばを過ぎるとハエは少なくなり、アマゴの稚魚や琵琶湖の本モロコ、ワカサギが生け簀に泳ぎます。「私が獲るのはハエと初夏からの小鮎。投網も友釣りも父に教わったんですよ」。

独学で料理を覚えたというお父上は、男前で、とても器用な人だったそう。「私、ファザコンなんです」と照れ笑いながら、浅井さんは嬉しそうに話します。「ビリヤードの日本チャンピオンになったこともありましたし、鮎釣りも上手だったんですよ」。

「喜幸」の女将・浅井喜美代さん
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そのお父上の傍らでお燗番を務めたお母上は、ふわっとしたお人柄だったそうで、「よく水を燗にしてお出しして、『えらい飲みやすいなぁ』とお客さんに笑われてました」。 当時のカウンターでは、そんなお二人の丁々発止が絶えず、「面白かったなぁ」と懐かしむ常連客が今も通い来て、浅井さんを見守っています。

晩秋からの名物の一つ、かぶらむし

「私の料理は父から受け継いだもの。お豆腐の醤油ダレも、おだしも何一つ変えてないんですよ」。旬のものは旬の時に食べなあかん、というのがお父上の教えだったそうで、晩秋からはかぶらむしが名物の一つに。その姿が独特です。

「喜幸」のかぶらむし
かぶらむし1980円。大中小と選べ、写真は小サイズ。塩〆したぐじ(甘鯛)にユリ根、粟麩とよもぎ麩、丹波シメジ。卵白と合わせたおろしカブラをのせて蒸し上げる。淡口醤油のあんをかけ、たっぷりのおろしワサビと。
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醤油のあんが表面張力で器にぎりぎり留まっています。「まず、あんだけ取り鉢に取ってくれはったら」。木の匙でべっ甲色のあんをすくうと、その下には純白のカブラ。底に一塩の甘鯛が潜んでいます。軽く混ぜて一口いただけば、しみじみとした滋味深さです。

「大七」生酛純米
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『喜幸』には「美しい鴨川」や「玉乃光」など京都の地酒もほどよく揃いますが、後半戦は「大七」の燗酒を、ぜひ。“生酛(きもと)造りの決定版”と称される福島の銘酒で、五味が調和した力強い旨みに圧倒されます。

名物の「湯どうふ」にも、ぜひ合わせていただきたい懐の深さですが…。旬味が並ぶ短冊の品書きが魅力的すぎて、私が「湯どうふ」をいただくのは何度かに一度。満たされたお腹をさすりつつ、お会計を、と言いかけて、「あっしまった!」と思うこと多々。ですが、初めての『喜幸』ならば、「湯どうふ」は必食です!

さて、この日もお会計は1人8000円ほど。今どき手を合わせたくなるほどリーズナブルです。 ほろ酔いで路地に出れば、徒歩2分で京都河原町駅。繁華街の只中とは思えない古格ある佇まいをしみじみ眺めながら、“喜ばしくも幸せな”酒席の余韻に少しだけ浸ってから、私はいつも帰路につきます。

京都・河原町「喜幸」の外観
『喜幸』と書いて「きいこ」と読ませる。「父が京都弁でそう言ってましたので」と浅井さん。
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writer

中本 由美子

nakamoto yumiko

青山学院大学を卒業し、料理と食の本を手掛ける東京の「旭屋出版」に入社。4年在籍した後、「あまから手帖」に憧れて関西へ。編集者として勤務し、フリーランスを経て、2010年から12年間、編集長を務める。21年、和食専門ウェブ・マガジン「和食の扉〜WA・TO・BI」を立ち上げ、25年に独立。フリーの食の編集者&記者に。産経新聞の夕刊にて「気さくな和食といいお酒」を連載中。