日本酒の熟成処 / 京都・御所南『うまいもんや いっしょう』
河宮拓郎の「ひとり居酒屋放浪記」
『うまいもんや いっしょう』後半戦。隣席のお兄さんはお若いのに素質アリと見え、面白そうな酒を薦められているのが気になるし、こちらのイカ納豆かき揚げをチラリと横目に、つられて納豆巻きを注文されたりしては、嬉しくなってパーティション越しについ喋ってしまう。今宵の酒はいかに落着するやらむ。
まずは懐の深い酒、「KINO」から
「おふたりは何と呼べばいいですか」。カウンターの中の店主・清水 学さんと、酒の世話を焼いてくれるフミさんの名コンビに、左隣のお客が尋ねる。
なんだなんだと身体を反らし、杉のパーティションから顔をのぞかせてみれば、30歳に届くか届かないかの真面目そうなお兄さん。最前から聞こえてくる清水さんとの話からして、日本酒に開眼してさほどの間のない、そしてこの店にだんだんと馴染んできたところ、というタイミングか。
「好きに呼んだらええやんかいな」と笑いつつ、酒のこと料理のこと、果てはお兄さんが実家から大量に送られて困っているキュウリの料理提案まで、訊かれれば何でもきっちり答えているのが微笑ましい。
日本各地の蔵元の前掛けや趣味のいいイラストが壁を飾る。
頼んでいたぼんじりのスモークが出てきた。こんがりとキツネを超えたタヌキ色。
暴力的に酒呼ぶ燻香を振りまくぼんじりを前に、「この次はイカ納豆かき揚げが出てきますよね。踏まえて、いい燗を」と頼めば、清水さんしばし黙考。「呑み飽きしなくて、何にでも合いそうな伊勢の「KINO(きのう)」からいってみます?」。
初めての酒だが、もちろん否やはない。「半合で? 1合?」と、「どっちでも全然構わない風」で訊いてくれるのが、手間のかかる燗酒であってもあれこれ呑みたい欲張りには嬉しい。スンマセン、半合で。
桜材のチップでフライパン燻製されたぼんじりスモーク600円。付合せは間引きメロンの糠漬け。「KINO」は90㎖800円、三重『元坂(げんさか)酒造』の七代目・元坂新平さんが2021年に興した新レーベル。「帰農」にちなみ、自社で復活させた酒米・伊勢錦を自社田で育てる、という「農」に焦点を当てて造り分けていく銘柄。
ぼんじりは、もはやぼんじりの形をした脂の塊と言っていい口溶け。その溶けた脂の中を、テリッと焦げた薄皮がスモーキーな香りをくゆらせながらたゆとうて、嫌みもクセもなくただ酒を呼ぶ。
呼ばれた「KINO」はといえば、「何にでも合いそう」は間違ってないが、より正確に言うなら「何と合わせても力負けしない酒」と言えようか。
でも、マッチョをひけらかすのではなく、合わせるアテによって力加減を変えてくるような不思議な一献だ。ぼんじりの脂もこの酒に洗い流してもらえるなら本望に違いない、と鶏には悪いが勝手なことを考える。
果たして、次いでやってきたイカ納豆のかき揚げに相対する「KINO」は、納豆の盛大な香りを食欲そそるそれへと変換しながら衣の油をサラリと溶かし、大葉の香りとも親しげに。そして、旨みや酸でアテを圧倒しない。これは相当に懐の深い酒だぞ。
からし醤油との劇的な相性にも驚かされる、この店の大定番・イカ納豆かき揚げ950円。油で熱せられて甘みを増したイカも旨いが、主役はやはり納豆。
日本酒アテンダーの本領発揮!
また目をやれば、隣のお兄さんは「めちゃめちゃ美味しいです」と天然鮎のスモーク(1尾500円)に舌鼓。
彼の鮎には何を合わせたんです?と訊けば、「『高砂』です。静岡の」。あれっ、「高砂」は知ってるけど、燻製と渡り合うような濃い酒だっけ?という顔を私はしたのだろう、清水さんが「お猪口にちょろっと、舐めてみます?」。チビリとひと口、口中で果てなく伸びる甘みと酸に愕然。密度の高い年輪を思わせるような熟成の味わいだ。こんな酒も造っていたのかと驚いていると「うちで、常温で6年寝かしたもんですわ」。また愕然。
「ポテンシャルはあるのに、硬い状態のまま呑んでしまったらもったいないでしょう。酒は、買ってからは僕らの自由にできますから」と清水さん。
その「自由」な差配を、この人はいったい何本の酒に施しているんだろう。しかも、その大多数はメニューに載っていないし、たとえいちいちラベルを見ても、どんな「自由」を経験した酒なのかは分からない。なれば酒は大将に任せるのが、普通に考えて正着だろう。背後の小上がりスペースを3分の1ほど埋めている一升瓶の森が、不敵に笑ってこちらを見ている。
「ここは大将にしか出せない酒がありますもんね」と気持ちのいいドヤ顔でフミさん。「はい、あります」と静かに見得を切る大将。酒呑みの待望するカッコよさとはこれだろう。
小上がり、バックカウンターなど店内のあちこちにある常温の酒瓶置き場、兼“熟成場”。もちろんバックヤードにも清水さんの自宅にも、力を蓄えるために眠り続ける酒が数々。取引の酒屋は主だったところで京都に5軒、東京に1軒。
辿りつけない料理への憧憬
こうなればもう、あとはヨロシクで大将の掌(たなごころ)の上を転がされておれば天下泰平。最後に金目鯛のカマ焼きをつつきますから、一本つけてもらいやしょう。
「焼き物には、やっぱりこれが合いますねぇ」と出してくれたのは、福島「天明」槽(ふね)しぼり純米火入れ。通称、オレンジ天明だ。「冷やせば酸が立ち、燗にすれば旨みがのるから」と年中重宝しているのだと。たしかに、ここで何度か呑んでいる。
香ばしく焼けた皮と、その下のふわりとした身、キンメの合いの手に口を湿らせる天明は、特徴的に豊かな酸で「ああ、この味この味」と思い出すのだけど、改めて、香味が濃密かつ立体的で、自分はこの酒の奥行きをまだわずかしか知らないんじゃないかと思わせてくれる。
静岡産金目鯛のカマ焼き900円。オレンジ「天明」は90㎖600円。「天明」と、岐阜「竹雀(たけすずめ)」、千葉「木戸泉」あたりは清水さんの得手の酒だろう。「うちは完全発酵系の酒はあまり置いてなくて、“甘っぽい”のが多いんですよ」。もちろん、ただ甘い酒とは違う。
はっと携帯を見やれば、入店からもう3時間が過ぎている。
我ながら佳き酔い具合だ。愉しきウラシマ効果を感じながら、そろそろ、と思ったあたりで、よりにもよってくだんのお隣さんが自家製のカラスミを頼む。ええっ、カラスミを単品で頼むほどのヤル気オトコ気はなくとも、人が頼むなら便乗したくなるではないか。「2枚だけ切ってもらえます? あと、締めの半合も…」「はいよ、カラスミは炙ります?」。カッコいいだけでなく、優しい大将…。
角豆皿に、うすーく切ったカラスミとキュウリを2枚ずつ。酔いと宵の仕上げにふさわしいサイズ。「酒は、『独楽蔵(こまぐら)』でいきましょう。2016年の」。
香ばしい焼き目の下にネチッとツブツブと、カラスミの妖艶な舌ざわりは薄切りで程よく緩衝され、酒を吸いすぎる磯の潮気はキュウリで薄められてちょうどいい。かたやの福岡『杜の蔵』が醸す「独楽蔵」燗純米(90㎖600円)は、めざましいばかりの酸を備えながらも、味わいは熟成の年月のうちに円く収まり、カラスミとバランスを取って爽やかな大団円を演出する。
普段はカウンターに散開している、目が合ったら忘れられないセイウチ徳利。清水さんと親交のある陶芸家・井上真利さんの作品だ。一目惚れした私が本気で欲しいと清水さんに伝え、井上さんに注文を中継してもらったことがある。
会計を済ませる頃に流れていたのはティアーズ・フォー・フィアーズの「ルール・ザ・ワールド」。支払いは1万を切った。
清水さんは寿司の修業が長かったということで、壁には寿司店のようなネタ札が掛かっているのだが、これまでのところ寿司に辿りつけたことはない。ついでに、肉料理もほとんど頼んだことがない。きっと美味しいに違いないのだが、私の好きな『いっしょう』呑みは、それらのレパートリーを含まずとも完結してしまうのだ。
きっと次回も、季節によって内容は違うだろうが、今日食べた料理に類似のテンポで気持ちよく酔っ払うのだろうなと店を出る。御池通りまで下って振り返れば、店の灯りは御幸町通りの暗がりに馴染んでもう見えない。
私は加熱式タバコのみなので、呑みながらたびたび表に出るのだが、大きな木の看板以外は控えめな存在感が好ましいと毎度思う。
■店名
『うまいもんや いっしょう』
■詳細
【住所】京都市中京区御幸町通二条下ル西側
【電話】075-231-1711
【営業時間】18:00~22:00LO
【定休日】水曜、月1回不定休。
【お料理】タコの炙りネギまみれ1200円、賀茂ナス揚げだし950円、穴子白焼き1800円。日本酒は90mℓ600~700円前後が中心。
京都のリアル
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Writer ライター
河宮 拓郎
Takuo Kawamiya