仲秋の名月を愛でる──料亭『柏屋 大阪千里山』の先付「十五夜」

季節の移ろい、節句などの歳時を、室礼(しつらい)や料理に映して客人をもてなす。料亭は日本の文化を愉しむ場所です。9月6日から約1カ月、『柏屋 大阪千里山』の亭主・松尾英明さんが仕立てるのは、「月代(つきしろ)」と題した会席料理。仲秋の名月に見立てた料理に、関西風の月見団子を添えて──。月見の宴は、このワンデッシュから始まります。

季のもてなしに心を尽くす料亭

大阪・千里山の料亭「柏屋 大阪千里山」
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蒸し暑い夏が過ぎ、空気が乾いて澄む天高き秋。夜空に冴え冴えと浮かぶこの時季の月を、日本人は昔からことさら愛でてきた。十五夜とも呼ばれる仲秋の名月は、旧暦8月15日。新暦にすると、今年は10月6日だ。料亭『柏屋 大阪千里山』の亭主・松尾英明さんは、9月6日から10月8日まで、「月代(つきしろ)」と題して会席を仕立てる。

「月代」は、月が昇る前、東の空が白んでいる様子を表した秋の季語。名月を心待ちする気持ちから生まれた言葉です。秋の夜に初めて見る「初月」は三日月。そこから日に日に満ちていく月を「夕月夜」「待宵」と愛で、いよいよ十五日目の夜に迎える仲秋の名月。祭壇を設け、供え物をして、月見の宴を愉しみます。その翌夜は「十六夜(いざよい)」。夜空から姿を消す「有明月(ありあけのつき)」まで、一日一夜、惜しむように古の日本人は月を見上げていました。そんなに昔に想いを馳せて、変わりゆく月を愛でるような気持ちで、「月代」の会席を1カ月かけてお出しさせていただいています。

松尾さんは『柏屋』の二代目。学生時代に茶道に出合い、日本の美意識が凝縮されたもてなしの世界に心酔。数寄(すき)な若者だった。卒業後は迷わず家業を継ぐ道へ。開業当初の『柏屋』は単品料理で商う、気さくな割烹スタイルだったという。修業に入った滋賀・八日市の料亭『招福楼』で、三代目・中村秀太郎氏のもてなしの神髄に触れ、目を洗われる思いだったという。それは、今も松尾さんが切実に追い求める目標になった。

門から入ると木々が連なる道あり、玉砂利を踏み進めて数寄屋造りの料亭に向かいます。秋ならば、そこに舞い落ちる紅葉を必要なだけ残す。そんな究極の美意識を持った方でした。一生かけても追いつけないと思いながらも、そのもてなしを理想として、父から代を譲り受けた数年後、『柏屋』を大改装し、料亭として生まれ変わらせました。

「柏屋 大阪千里山」松尾英明さん
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日本古来の歳時の本当の意味を伝えたい

打ち水された玄関から門をくぐり、石階段を数段上がると、和装の仲居さんが出迎え、二階の座敷へと誘ってくれる。その短いアプローチにも、月はある。廊下の突き当たりに、ぽかりと浮かぶのは銀の盆の月。それをススキ越しに愛でるという趣向だ。座敷に腰を落ち着けると、床の間には満月を描いた掛け軸。その脇にもススキが配されている。

「柏屋 大阪千里山」の月の室礼
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今の日本人は忙しなくて、月見を楽しむ余裕がないですよね。現代の料亭は、日本の素晴らしい行事ごとを楽しんでいただく場でもあると思うんです。料理を味わうだけでなく、室礼も楽しんでいただきたい。茶室というのは、この日、このお客様のためだけに整えます。そのもてなしの心で、床の間にどんな掛け軸をかけようか、どんな花をどう生けようかと、考えるのが好きなんですよ。私自身の愉しみでもありますね。

松尾さんは、会席の献立に自身がしたためた言葉を添える。「月代」は、こんな言葉で締めくくられている。
──姿が見えない名月を表す言葉に「無月」や「雨月」があります。十五夜に空が曇り月の姿が見えない様子を「無月」、雨で見えない時を「雨月」と言います。そして曇り空や、雨空のどこか明るく見えるところに、姿を見せない名月に思いを寄せる気持ちが込められているように感じます。時には秋の夜長、ゆっくりとお月様に思いを寄せるひとときを持ちたいものです。──。

月見だから団子、収穫祭の意味合いもあるから実りのもの。それを料理に使えば、月見の膳になるというものではないと思うんです。昔は時計もカレンダーもないですから、時間や季節の移ろいを自然界のあらゆるもので感じていました。米の収穫を控えた秋の夜、ぽっかりと浮かぶ名月が、古の人の心をどれほど豊かにしたか。ぜひ、想いを馳せていただきたいんです。そこに、日本の節句や行事ごとの本来の意味があります。これからは若い世代にも伝えていかないと。60代の日本料理人として、私の使命だと思っています。

「柏屋 大阪千里山」の座敷
床の間の掛け軸は、陶芸家・辻村史朗さんの書画「満月」。
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満月に、関西の月見団子添えて

「柏屋 大阪千里山」の先付
「十五夜」と題した先付は、「帆立貝 茶豆 人参松の実摺り流し」と「月見団子見立て 里芋餅に唐墨」。
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今回ご紹介する「十五夜」は、「月代」の会席で最初に供される先付だ。お膳には、鮮やかな黄色の満月。三宝を象った器にカラスミ団子が盛られている。これは月見団子? よく見る白いまん丸の団子を積み上げた姿とは、随分と違っている。

関西では十五夜を芋名月と呼んで、里芋をお供えする習慣があったため、月見団子も里芋に似た形なんですよ。そこに餡を帯状にまとわせるのが関西流。うちでは、里芋を含め煮にしてから裏漉しして白玉粉と合わせ、団子の生地にしています。餡に見立てたのは、煮切り酒でのばしたカラスミ。料亭ですからね、ちょっと豪華な月見団子にしてみました。

一口目で、パッと目が覚めるように旨みが広がるカラスミの餡。対照的に、もちっとした生地は素朴な里芋の風味がしみじみと感じられる。それにしても気になるのは、お隣の赤絵の馬上盃(ばじょうはい。高台が長く片手で飲むように造られたさかずき)。この黄色は何の色? そして、その下には何が潜んでいるかと言えば…。

「柏屋 大阪千里山」の先付の手順
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ずんだ(枝豆のペースト)に帆立貝のゼリー寄せを重ねて、西洋ニンジンと松の実のペーストを塗りました。1時間ほど蒸して甘みを増したニンジンに松の実と昆布だしを合わせてペーストにすると、鮮やかな黄色になったんですよ。これには私自身も驚きました。調味は塩だけで、驚くほどおいしい。ヒントになったのは、実はニンジンのポタージュです(笑)。

料亭は敷居が高いと感じる読者諸氏も少なくないだろう。けれど、松尾さんも関西人。端正なワンデッシュにも、こんな茶目っ気が潜んでいる。帆立貝の旨みに、ニンジンの甘みと松の実の香ばしさ。そこに、親しみある枝豆の味わいが重なる。だしゼリーには清涼感あるスダチの香り。夏の名残と共に秋の深まりを感じながら味わう「十五夜」。『柏屋』の月見なら、無月も、雨月もないですぞ。

writer

中本 由美子

nakamoto yumiko

青山学院大学を卒業し、料理と食の本を手掛ける東京の「旭屋出版」に入社。4年在籍した後、「あまから手帖」に憧れて関西へ。編集者として勤務し、フリーランスを経て、2010年から12年間、編集長を務める。21年、和食専門ウェブ・マガジン「和食の扉〜WA・TO・BI」を立ち上げ、25年に独立。フリーの食の編集者&記者に。産経新聞の夕刊にて「気さくな和食といいお酒」を連載中。