秋の贅、威風堂々──西宮『日本料理 子孫』の「松茸とカマスの炮烙焼」

がぶりと一口。松茸が湛えていた旨みが、口いっぱいにあふれ出します。「10月の特別会席には欠かせない焼物です」。西宮市甲陽園に佇む『日本料理 子孫(こまご)』の藤原研一さんが手掛けるワンデッシュは、師匠譲りの炮烙(ほうらく)焼。浅い素焼きの土鍋を使った古典的な火入れで、ダイレクトに旬味を引き出して──。秋の味覚の王様にかじり付く贅沢、この上なし。

名料亭で培ったもてなしの心

滋賀県東近江市に日本屈指の料亭がある。明治初年創業の『招福楼』。茶の心をもって日本の文化の粋(すい)を楽しませる。その雅趣に富んだ料理やもてなしは、料理人として、料亭の亭主として、『日本料理 子孫』の藤原研一さんの礎となっている。

『招福楼』には15年務めさせていただきました。25歳から東京店に続いて神戸店の料理長となり、師匠(中村秀太郎氏)とお話しさせていただく多くの機会が持てたことは、私の財産です。料理だけでなく、茶の湯の精神、おもてなしの心など、大切なことを教わりました。

「子孫」外観
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2002年に独立した藤原さんは、甲陽園で曽祖父から続く料理旅館を改築し、料亭として生まれ変わらせた。趣のある門をくぐると、端正な数寄屋造り。苔庭に臨む客席は、テーブル席と座敷がある。その座敷の床の間に、10月は菊の被(き)せ綿が飾られている。

旧暦9月9日の重陽は、菊の節句とも言われます。現代では9月に菊が咲きませんから、うちでは10月に菊のコースをお出ししています。被せ綿は、平安時代から続く宮中行事。重陽の前日に菊に真綿を被せ、翌朝、夜露や菊の香が移った綿で顔や身体をぬぐって長寿を願いました。その風習にちなんで、お客さまの健康を祈念し、この時季の室礼(しつらい)としています。

「日本料理 子孫」の座敷
床の間の室礼が、被せ綿菊。掛け軸は大徳寺芳春院の和尚の書。「時」の墨書に「桃栗三年、柿八年」と添えてあり、「秋の味覚ばかりなので、この時季に掛けさせていただいてます」と藤原さん。
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蒸し焼きで松茸の旨みを閉じ込めて

菊をテーマにした10月の特別会席は、菊花を旬の幸と和えた「菊なます」から始まる。菊花仕立ての煮物椀、新米の飯蒸しと続く中、ひときわ座を盛り上げるのが、秋の味覚の王様・松茸の炮烙焼だ。炮烙は素焼きの浅い土鍋で、ゴマや茶葉を煎ったり、魚介などを蒸し焼きにするのに使われる古い道具だ。藤原さんは、この古典的な技法で松茸を火入れする。

松茸の炮烙焼
炮烙に塩を敷き詰め、松葉を少しずつ丁寧に重ねる。大きな松茸をのせたら、そのまま客席へ。「これから蒸し焼きにしてまいります」と伝えた後、松茸に塩を振って水をかけ、蓋をして直火にかけて蒸し焼きに。
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せっかくの旬味ですから、あれこれと細工せず、豪快に召し上がっていただきたい。味付けは塩だけです。松茸は松の木の下に生えるので、松の香りをまとわせて蒸し焼きに。ただ、加熱すると青々とした松葉が色あせてしまうので、大ぶりの松茸と共に、その姿をまずは目で楽しんでいただきます。焼き台でカマス酒塩焼にして盛り合わせたら、おいしい瞬間を逃さず客席へ届けます。

女将が熱々の炮烙の蓋を取ると、盛大に上がる湯気と共に松茸の芳しい香りが漂う。すぐさま菊の器に取り分けて、スダチ風味の割り醤油を添える。待ち構えるように一口。豪快にかじり付けば、シャクッシャクッと力強い歯ざわり。豊かな香りが鼻を抜け、噛むごとに松茸の“だし”があふれ出る。食べ終えてもなお残る芳しさ。なんという余韻の長さ。なんという贅沢!

「子孫」の松茸とカマスの炮烙焼
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松茸の焼物といえば炭火焼が定番ですよね。客席に七輪をお出しして目の前で焼き上げる臨場感は素晴らしいですが、ポタッポタッと落ちるエキスがもったいなくて…。その旨みを一滴も逃さず味わっていただこうと、私の師匠は炮烙焼でお出ししていました。蒸し焼きにしているので、松茸の持ち味が閉じ込められて、とてもジューシーでしょう。スダチ入りの割り醤油でいただくのは王道ですが、これ以上の取合せはないと私は思います。

古い仕事には不変の力がある

これほど贅沢に松茸を食したのは初めてだ。王道ゆえの凄みに圧倒され、しばし言葉を失ってしまった。とはいえ、20余年もの間、変わらずこの時季に同じ焼物を出し続けることに、藤原さんは何の迷いもなかったのだろうか。

もちろん新しい料理にも挑戦してきましたし、私なりの一品も少なからずあります。ですが、松茸の焼物となると、この炮烙焼に勝る仕立てはないんですよ。炮烙でお出しする迫力も、松茸の風味や食感も、師匠が長年かけて作り上げた一品ですから、完成度が高すぎて一分の隙もないんです。新しい料理を作るなら、古い料理を超えないと意味がない。越えられないのなら、古い料理のままでいいと私は思います。

「子孫」藤原研一さん
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57歳になった藤原さんの言葉には、揺るぎない信念が宿っている。昨今は、古い仕事や日本古来の風習が失われつつあり、新しい珍しいものばかりに目が行きがちだ。新味にワクワクするのも楽しいけれど、 長く愛され続ける味は、より深く、舌に、心に刻まれる。不変の力があるのだと思う。

コップの水を次のコップに移し続けると、少しずつ減ってしまうでしょう。そんな風に長い歴史の中で失われていくものも確かにあると思います。ですが、根本の大事なことは残したい。日本料理は日本の節句や季節のうつろいを映すもの。料亭のもてなしは、日本の伝統文化の上に成り立っています。師匠が私に教えてくれたのは、そんな根本的なことばかりでしたから。

割り醤油でいただく松茸
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炮烙焼は古い仕事だ。料亭が少なくなった現代では、見かけることも減った。もし松茸がさらに希少になって、一年に一度だけしか食べられなくなったとしたら、私はこの炮烙焼がいい。がぶっと贅沢に噛みしめて、秋の味覚の王様を心ゆくまで味わいたい。

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writer

中本 由美子

nakamoto yumiko

青山学院大学を卒業し、料理と食の本を手掛ける東京の「旭屋出版」に入社。4年在籍した後、「あまから手帖」に憧れて関西へ。編集者として勤務し、フリーランスを経て、2010年から12年間、編集長を務める。21年、和食専門ウェブ・マガジン「和食の扉〜WA・TO・BI」を立ち上げ、25年に独立。フリーの食の編集者&記者に。産経新聞の夕刊にて「気さくな和食といいお酒」を連載中。