草を食むということ──神戸『Cà sento』の「野菜サラダ」

20種以上の野菜が描くのは“野の光景”。温めたホエー(乳清)のソースをかけて混ぜ合わせ、その生命力を身体に取り込むように、草を食(は)む。食べることは生きることだと語りかけるようなワンデッシュは、神戸『Cà sento(カセント)』の福本伸也シェフのスペシャリテです。スペイン『ムガリッツ』で会得した「野菜サラダ」を地元の幸で。兵庫の大地が薫ります。

“野の光景”を食むということ

草を食んでいる。酸味や苦味、ときどき、ピリリと刺激も感じる。キュウリのような青さだったり、花のような香りがしたり、とろみがあったり。ボウルの中にあるのは“野の光景”だ。20種以上の野菜が、自由気ままに群生している。一つずつ違う個性を食みながら、小さな草たちの生命を身体に取り込む。

スペインの『ムガリッツ』のスペシャリテ「野菜サラダ」を僕が作るとこうなります。シェフのアンドーニ・ルイス・アドゥリスは、バスクという土地を、地野菜とエメンタールチーズのソースで表現していました。開店当初は僕もそのスタイルを踏襲していたのですが、ある時、『弓削(ゆげ)牧場』でホエーに出合って。チーズの副産物なので破棄する液体だと聞いて、これだ!と思ったんです。生まれ育った兵庫の大地の香りや、命の循環をも表現できるようになりました。

「Cà sento」のサラダに使う野菜
クレソン、マジョラム、バジルに木の芽、ワサビ菜、パクチー、マリーゴールド、サラダバーネット…。兵庫で育つ20種の野菜が使われている。
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ボウルの底には、ホエーで炊き、クミンやクローブなどでカレー風味を付けたクスクスが潜んでいる。緑のペーストは、余った野菜を活用し、パルメザンチーズとニンニクを少し。金ゴマを添えて、その上に野菜を生けていく。塩水を振りかけ、胡椒をガリガリッとやって、最後に焦がしバターを回しかけると…。土を彷彿とさせる香りが立ち上る。

野菜を土に戻すイメージですね。2008年の開店以来、僕は「野菜サラダ」をずっと作り続けています。大きくて平らなボウルに盛っていた時もあるし、エディブルフラワーを使ったりと、少しずつ変化しています。自分の学んできたことを、今の時代に合わせたやり方でやり続けるのが性に合っているんです。次々と新しい料理を作るというのは、僕にはできないんですよ。

野菜サラダの手順
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スペインが止まらない

福本伸也シェフは、神戸で生まれ育った。家庭の事情で中学卒業後、すぐに就職。「料理が好きだったので」地元の洋食店に入り、ホテルや数軒のレストランで懸命に働いた。そうして迎えた20歳。「このままでいいのか?」と自問自答し、単身イタリアに渡る。ナポリ、ピエモンテ、ミラノで経験を積む中、運命は福本シェフをスペインへと導いた。

ミラノのレストランにいた時、雑誌「専門料理」の取材があって。その時、別冊「スペインが止まらない」を知ったんです。ページを繰ると、まさに僕がやりたい!と思っていた料理が並んでいて。いくつかの掲載店に手紙を送り、バスクの『ムガリッツ』に入れていただきました。厨房には40人くらいの料理人が世界中から集まっていましたが、日本人は僕が初めてでした。

『Ca sento』の福本伸也シェフ
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『ムガリッツ』には研修生として入ったため、無給だったという。当然、生活は苦しくなる。同僚だったバレンシアの二つ星レストラン『カ・セント』の息子に頼み込んで、運よく職を得た。ところが、当時は東洋人への風当たりが強く、1カ月で店を去ることに。再びバスクに戻った福本シェフは、料理学会で『カ・セント』親子に再会。戻ってきてほしいと、スペイン人よりも好条件を提示されたという。

シェフのポジションでしたから、すごく嬉しかったですね。当時の『カ・セント』は、お父さんの古典的なバレンシア料理に、『エル・ブジ』でも働いた息子さんの前衛的なクリエーションを融合させようとしていて。僕はそのどちらも学ぶことができました。一生懸命働きましたし、とても大事にしてもらって。お父さんの引退もあって、「一緒にやってほしい」とも言われたのですが…。母が難病になり、急遽、神戸に戻ることになったんです。

『Ca sento』店内
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“余白のある”料理を作りたい

2008年、地元に帰って来た福本シェフはレストランをオープン。恩返しの意味も込めて『Cà sento』と名付けた。オープンから2年目、いきなりミシュランの3つ星を獲得。福本シェフはどんな心境だったのだろうか?

当時は、スペインで学んできたことに絶対的な自信があって。敵なしやと思ってたんですよ(笑)。でも、ミシュランで星を獲って、いろんなお客様に来ていただけるようになったことで、「まだまだや」と知りました。すると、逆に自分は何もできていないんじゃないか、という思いが芽生えてきて。食べるって一体何なのか? 禅問答みたいですけど、そんなことを考えるようになって…。こうしている今も、どこかの国で戦争があり、飢えた子供たちがいる。料理人として、自分は何をしないといけないのか? 自問自答しながら、日々感じたことに率直でいたい。それが料理に表れると思うので。

「野菜サラダ」を盛る
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開店以来17年、コースには『カ・セント』で覚えた米料理「オジャ」と共に、『ムガリッツ』のスペシャリテ「野菜サラダ」が必ず組み込まれている。同じ料理を作り続ける日々を、福本シェフは噛みしめるように過ごしてきた。

『ムガリッツ』のアンドーニは、「料理の目指すところは“おいしい”なのか?」と考え、野菜の皿にたどり着きました。彼は「この一品はおいしくはない。頭で食べる料理だ」と言うんですよ。料理人が口にする台詞として衝撃的でしょう。僕の「野菜サラダ」も食べやすくはない。苦痛な部分もある。でも、それが野菜そのものを味わうということ。僕は素材をいじり倒したくはないんです。ホエーだって、夏の牛の乳は味が薄いし、いつも同じではない。そういう移ろいに対して、日本人らしく、ナチュラルに、控えめに向き合いたい。そうして“余白のある”料理を作れたらいいなと思っています。

神戸『Ca sento』の「野菜サラダ」
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余白の部分は、おそらく食べ手に委ねられている。少なくとも私は、この一皿に心が揺さぶられた。「草を食む」は、自然の恵みや純粋さを甘受するという比喩的表現としても用いる。料理は命をいただくこと。その瞬間に、当たり前の幸せがある。

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writer

中本 由美子

nakamoto yumiko

青山学院大学を卒業し、料理と食の本を手掛ける東京の「旭屋出版」に入社。4年在籍した後、「あまから手帖」に憧れて関西へ。編集者として勤務し、フリーランスを経て、2010年から12年間、編集長を務める。21年、和食専門ウェブ・マガジン「和食の扉〜WA・TO・BI」を立ち上げ、25年に独立。フリーの食の編集者&記者に。産経新聞の夕刊にて「気さくな和食といいお酒」を連載中。