驚異の10秒揚げ──京都『洋食おがた』の「活アジフライ」

ジュッと音がしてから、なんと10秒。揚げたての衣をザクッと切れば、断面の中心は完全に生です。「静岡の『サスエ前田魚(うお)店』さんのアジでなければできないフライです」と胸を張るのは、京都『洋食おがた』店主の緒方裕之さん。肉料理で人気を博す洋食店の転機となったのが、このワンデッシュ。新名物アジフライの誕生譚をお届けします。

『サスエ前田魚店』から届く駿河湾のアジ

晩秋のとある昼、京都『洋食おがた』店主の緒方裕之さんは、駿河(するが)湾の鮮魚を待ち構えていた。発泡スチロールが届くと、嬉々として包みをほどいていく。白甘鯛にホウボウ、花鯛、サワラ、太刀魚。丸々と肥えたアジの目のキレイなこと! 一点の曇りもなく、澄んでいる。

「サスエ前田魚店」から届く晩秋の魚
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昨日、始発に乗って、静岡・焼津の『サスエ前田魚店』まで行ってきたんですよ。地元の料理人さんに交じってジャンケンで獲得した戦利品です(笑)。甘鯛はウロコ焼きかな。花鯛はカルパッチョで、サワラは皮目だけ炙ってタタキに。ホウボウと太刀魚はフリットで、アジはもちろんフライにしますよ!

『サスエ前田魚店』は、おそらく日本で最も料理人に愛されている魚屋だ。五代目の前田尚毅(なおき)さんは、「針がかかった瞬間から料理は始まる」という考えのもと、地元の漁師と連携を取り、港に大きな水槽を設置して、魚に最適な下処理を施す。その仕事に全幅の信頼を置く地元の人気店の料理人が、毎朝、店に集い、ジャンケンによる魚の争奪戦を繰り広げるのは有名なハナシだ。

駿河湾の晩秋のアジ
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このアジ、見てくださいよ! 群れに1000尾いたとしても、エサを豊富に食べるのは先頭の50尾。それを前田さんは目利きしているんです。だから、ほら、厚みが違うでしょう。内臓もめっちゃキレイなんですよ。通常、アジは水深10mくらいのところを泳いでいるのですが、駿河湾に入ると150mまで潜るんです。骨ぎわがピンク色できれいでしょう。今から4~5月までがいいんですよ!

10秒が作る風味と食感のグラデーション

『サスエ前田魚店』から届くアジは、身の弾力も香りも、すべてが異次元だという。最高のフライに仕上げるためには、どうしたらいいか。緒方さんは熟慮を重ねた。軽さを出すため揚げ油をサラダ油から米油に変え、小麦粉もパン粉もこれぞというものを選んだ。そんな試行錯誤の末に生まれたのが、10秒の超短時間フライだった。

『洋食おがた』の小麦粉とパン粉
左/熊本の『ろのわ』の有機小麦粉は、全粒粉の自家挽き製法。小麦の味が桁違いに濃い。右/富山の『酒井食品加工所』のパン粉は、パンから手作りでなんと50種もあるという。緒方さんは、きめの細かいパン粉を選んでいる。
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味付けはごく薄く醤油を塗って、あとは塩だけ。衣を付けたら、200℃で10~15秒。霜降りみたいな感覚で揚げています。余熱で火を入れて、30秒で客席へ。食べ進める中で少しずつ火が入っていくので、その変化する味わいも楽しんでいただけたらと思っています。

洋食おがた2
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『洋食おがた』の活アジフライ
まずはそのまま数切れを味わい、マスタードを付けて味変。そのマスタードが驚くほど薫り高い。
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断面が物語る通り、食感にも風味にもグラデーションがある。衣の際は軽く火の入った香りがあり、中心部は完全に生だ。噛みしめると、甘みがゆっくりと口の中に広がり、ひと呼吸おいて、アジの力強い風味が鼻を抜けていく。後味の余韻が、驚くほど長い。こんなアジフライは始めてだ。そして、特筆したくなるほどに衣が旨い。

前田さんの魚に出合って、食材との向き合い方が変わりました。今まではメニューを決めてから仕入れをしていましたが、今は届いた鮮魚を見て、どう調理しようか考えます。アジやったら、白子が入る時期はフライに添えたり、頭や骨でだしを取ってブイヤベースにしたり。卵でカラスミも作りますよ。晩秋から12月末くらいまではサクラエビの旬で、アジのエサにもなるので、胃袋を開くとピンクのきれいなのがパンパンに入ってて。それを毎回、お客様にお見せしてるんですよ(笑)。

アジのアラと、内臓
左がアジのアラ。右は、内臓を開いた状態。胃袋に詰まったサクラエビが見て取れる。
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最高の食材を引き寄せるチカラ

緒方さんは、熊本出身。長崎の『ハウステンボス』で名シェフ・上柿元(かみかきもと)勝さんのもと、フレンチを学び、20年前、京都にやって来た。『ビストロ セプト』の初代料理長となり、カスレやコンフィなどの肉料理で評判を取る中、常連の助言で名物として打ち出したハンバーグが大ブレイク。“日常のごちそう”である洋食に可能性を感じ、2015年、『洋食おがた』を開店した。当初からの看板は、もちろん肉料理だ。

京都『洋食おがた』
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僕はツイてるんですよ。鹿児島の『ふくどめ小牧場』の豚肉は、京都の平井牛の社長さんにご紹介いただいたもの。イギリス原産のサドルバックという品種で、脂が甘くて旨みが強いんです。この豚肉でハンバーグをブラッシュアップしようと模索していた時、滋賀の精肉店『サカエヤ』の新保吉伸さんがお越しになられて。「熊本出身やったら、うちにあか牛があるから使ってみますか?」って。すぐに買いに行って、ハンバーグを作った時の感動は忘れられません。今は『サカエヤ』から仕入れる肉が看板の一つです。

『サカエヤ』は、肉の個性を見極め、各料理人のために最適な“手当”を施すことで知られる精肉界の雄だ。その新保さんに連れられ、緒方さんは熊本のあか牛の牧場を訪ねたという。のびのび放牧させ、自生の草だけで育てる環境を見て、身が引き締まる思いがしたと話す口調に誠実さがにじむ。よりよい食材を得るために、我先にと動く人ではない。『洋食おがた』が扱う最高の食材はどれも、真摯に食材と向き合う緒方さんの姿に心を打たれた誰かが、縁を繋いでくれたものばかりだ。

「洋食おがた」の緒方博行さん
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『サカエヤ』も『サスエ前田魚店』も、フードジャーナリストの門上武司さんのご縁なんです。当時、大人気店の『天ぷら成生(なるせ)』と前田さんの店に行くために、年4回くらいに静岡に通っていて。アジの天ぷらに衝撃を受けて、僕なりのアジフライを作り始めたのですが、さすがに前田さんの魚を買いたいとは言い出せなかった。そんな時、門上さんが来られて、僕のアジフライをSNSにアップしてくれたんです。それを見た前田さんから「うちのアジでやってみてよ」と連絡があったんですよ!

『洋食おがた』には、今、日本最高峰の肉と魚がある。「これ以上の食材はないと思います。新保さんと前田さんが現役でいる限り、僕は店を続けます」と、57歳の緒方さんは幸せそうに笑う。「今日は、どんな魚が入ってるの?」「お薦めの肉の食べ方は?」。その日の逸品を目掛けて、全国から食いしん坊が集まってくる。こんな洋食屋は他にない。

京都「洋食おがた」
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writer

中本 由美子

nakamoto yumiko

青山学院大学を卒業し、料理と食の本を手掛ける東京の「旭屋出版」に入社。4年在籍した後、「あまから手帖」に憧れて関西へ。編集者として勤務し、フリーランスを経て、2010年から12年間、編集長を務める。21年、和食専門ウェブ・マガジン「和食の扉〜WA・TO・BI」を立ち上げ、25年に独立。フリーの食の編集者&記者に。産経新聞の夕刊にて「気さくな和食といいお酒」を連載中。