『出入橋きんつば屋』のきんつば[大阪]昭和5年創業、男性ファンも多い名物おやつ

きんつばと言えば出入橋。出入橋と言えばきんつば。大阪人にとってはそれほどの存在だ。このご時世に1ケ100円のままで、しかも本気でしみじみおいしい名物おやつ。ところで、出入橋ってヘンテコな名前の由来は何だろう? きんつばってそもそもどういうお菓子? 歴史や意味を知れば、もっとおいしくなる。もらってうれしい、自分用にも買いたくなる出入橋のきんつばの物語。

きんつばは、ぎんつばだった

きんつばは、昔々、京都で考案されたお菓子で、米粉で作った生地であんこを包んで、丸く平らに焼いたものだった。その形が、お侍さんが腰に差す刀の鍔(つば)に似ているということで、「銀鍔」と呼ばれていた。そのお菓子が、江戸に伝わって、生地も米粉から小麦粉に変わり、銀より金の方が上等だと、金鍔に名が変えられた――と一説に伝えられている。その丸くて平たいきんつばが、四角になったのは、明治30年、神戸元町の『紅花堂』(現在の『本高砂屋』)が始まりだとか。
金から銀へ、丸から四角へ。名を変え、形を変え、今のきんつばになったというわけ。

大阪『出入橋きんつば屋』パッケージ
きんつば1箱(10個入)1100円~。15個入以上になると掛紐が付く。箱には刀の鍔の文様が。
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大阪『出入橋きんつば屋』外観
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大阪・出入橋
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「出入橋」に出入りしていたのは

阪神高速道路の下に小さな橋が残っている。石造りの欄干の端っこに「出入橋」と昔ながらに右から左へ名が刻まれている。「そう、うちの前の高速道路の下は昔は梅田堀割ゆう運河でね。舟に積み下ろしする荷物の倉庫が、ここらにようけあったらしいです」とは、『出入橋きんつば屋』3代目の白石誠治さん。
明治の頃、運河は梅田の貨物駅へと荷物を運ぶダンベ船という平底の和船が賑やかに行き交っていたそう。つまり、出入りするのは船だったのだ。

男たちのためのオヤツだった!?

なぜ、そんな出入橋のたもとにきんつば屋を開店したのだろう。
「このへんは特に、船に積む荷物とか下ろした荷物を保管する倉庫がたくさんあったんです。二輪の大八車とかリヤカー付きの自転車を引いてる人がいっぱいいてね。ウチの前がちょっと上がり坂になってたから、気軽につまめるきんつばでも食べて一服してもらおか、ということで、僕の祖父が昭和5(1930)年に茶屋を始めたのが最初だと親父から聞いてます」と白石さん。

大阪『出入橋きんつば屋』3代目の白石誠治さん
3代目の白石誠治さん
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『出入橋きんつば屋』は、肉体労働で鍛えた男たちのためのオヤツとして始まったわけだ。だからだろうか、運河は高速道路ができるに伴って埋め立てられたけれど、朝から店先にきんつば求めてやってくる客の半分以上がスーツ姿の男性だ。

店先で出来るのを見るのも楽しい

大阪『出入橋きんつば屋』きんつばの製造シーン
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四角く切ったあんこを、小麦粉を溶いたボウルの中にチョンと付けて鉄板にポンと置く。
チョン、ポン、チョン、ポン…
リズミカルに次々と四角いアンコが並べられていく。40個が鉄板に並んだ頃、ちょうど最初の1個の1面が頃合いに焼けているので、取り上げてまた別の1面に衣をチョンとつけてポン。6面全部が焼きあがるのに6~7分。「僕は1時間に8~9回焼きます」と白石さん。320~360個が焼きあがる計算だ。

大阪『出入橋きんつば屋』きんつばの製造シーン2
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大阪『出入橋きんつば屋』きんつばの出来上がり
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あんこは5時間ほど掛けて炊き、1日置く。朝は6時前から30cmほどもある長~いスイカ包丁で208ケに切り分けて、8時頃から焼き始める。1日2000個、正月前には3000個も売れるから、どんどん焼かねば、なのだ。

大阪『出入橋きんつば屋』きんつばのあんこ
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実は冷凍もできる!

2口分ばかりの小ぶりのきんつば。薄皮の中、大きな小豆の粒が透けて見える。甘すぎず、あっさりきれいな味わいだから、つい2つ3つと手が出てしまう。お店に買いに行ったら、店内できんつばを食べていく人も多いし、お土産に黄色い箱入りのを贖って、自分用に2つ3つ、いや10個20個と買っていく人も多い。
賞味期限は当日中だが、実は、冷凍しておき、食べる分だけレンジで温めればおいしくいただけるのだ。さらに焼くともっと香ばしくなるので、お試しあれ。

きんつばが買える場所は

出入橋の店舗以外にも、実は百貨店でも販売している。ただし数量限定につきお早めに。
・『出入橋きんつば屋』
・『阪神梅田本店』(月~土曜)
・『髙島屋大阪店』(火、土曜)

大阪『出入橋きんつば屋』店先
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