もう一つの、スペイン──大阪『エル・ポニエンテ』の「温製磯魚のテリーヌ」
“新バスク料理”の潮流に触れて
小西由企夫シェフがスペインに渡った1983年、“ヌエバ・コシーナ・バスカ(新バスク料理)”の潮流がマドリードにも押し寄せていた。その騎手の一人、ファン・マリ・アルサックが率いる『アルサック』のスペシャリテが写真の「Pastel de cabracho(カサゴのテリーヌ)」。小西シェフは、修業先のレストラン『カサブランカ』でこのワンディッシュに出合った。
“新バスク料理”は1970年代半ばに、バスクの料理人がフランスのヌーベル・キュイジーヌに影響を受け、提唱したもの。「郷土料理の復活」「地の新鮮な素材を生かす」「進化と創造」を定義とした革新的な運動でした。『カサブランカ』でも新バスク料理のフェアをやったから、『アルサック』のスペシャリテを知ることができたんやけどね。僕の第一印象は、出来損ないのテリーヌ(笑)。当時のスペインにはまだロボクープがなく、ザラザラした舌触りで。フレンチの真似事から、まだ抜け出させていない。そんな時代でした。
3年の修業を経て帰国した後、苦楽園『ドス・シバリス』の料理長となるため、研修でバルセロナへ。調理の学校に通い、カタルーニャ料理を学ぶ。1991年に開店したその店は、関西のスペイン料理界を牽引。多くのフレンチやイタリアンのシェフが興味津々で食べに来たという。小西シェフは98年に独立し、淀屋橋に『エル・ポニエンテ』をオープン。「カサゴのテリーヌ」は当初からオンメニューしていたというが、先輩のフレンチシェフには「このテリーヌ、分離してるで」と不評だったと笑う。
当時の僕は“打倒フレンチ!”に燃えていて。生意気やったんで、よぉ食ってかかってました(笑)。10代から絶対に外国に行くと決めていて、フランスは難しいからスペインに行ったんですけど、性に合ってましたね。シエスタがあって昼寝もするし、いい意味でいい加減やし、女の子はキレイで、酒が美味い。こんなパラダイスある?って(笑)。僕は修業時代から、星付きレストランより、バルや地方の料理の方に興味があって。この30年でスペインの各地を隈なく訪ねましたよ。あと残ってるのは、カナリア諸島くらいです。
名店のスペシャリテを『エル・ポニエンテ』流に
“新バスク料理”は『エル・ブジ』が嚆矢となったモダンスパニッシュに繋がり、世界中を巻き込む大ブームを起こす。スペインには星付きレストランが次々とでき、バスク地方のサン・セバスチャンは美食の街に。モードな皿がフューチャーされ、伝統的な郷土料理が本国のレストランから少しずつ姿を消していったと小西シェフは言う。
スペインの郷土料理は素朴で、滋味深くて、地方色に富んでいて、ホントに美味しいんですよ。その中から日本人に合うものを選んでオンメニューしたのが『エル・ポニエンテ』の始まりです。日本人向けにアレンジせず、あくまで現地流で。実はグランドメニューの9割は当時から変わっていない。でも、この「カサゴのテリーヌ」は、ブラッシュアップを続けてきました。今は「温製磯魚のテリーヌ マッシュルームソース」としてお出ししています。
『アルサック』流は、カサゴをクールブイヨンで茹でて火を通し、ほぐした身と卵・生クリーム・トマトソースをミキサーにかけたムースのような生地。材料はそのままに、小西流は「茶碗蒸しのような滑らかな生地にして、身の食感も生かそうと思って」、卵生地にほぐし身を合わせてテリーヌに。それだけで、印象が劇的に変わる。
当時の『アルサック』流は、スペイン人が大好きなケチャップマヨネーズみたいなサルサロッサを合わせていて。これも美味しいんですが、僕は温製で出したかったので、赤ピーマンとか、ヴァンブラン(白ワインソース)とか、いろいろ試して、マッシュルームのソースに行き着きました。30年近く作り続けて、しみじみシンプルで美味しい料理だなと思うんですよ。僕が現地で学んだのは、今のように複雑ではなく、素材感にあふれた「ごまかしのない料理」。それが、スペイン料理の本質だと思います。
80年代のスペインの味を伝えたい
この取材のために、小西シェフは80年代の『アルサック』の「カサゴのテリーヌ」も用意してくれた。それが冒頭の一皿。確かにザラっとした食感だが、ノスタルジックな味わいの中に力強さがあり、心を掴まれた。一方、『エル・ポニエンテ』の「温製磯魚のテリーヌ」は、ふわっと滑らかな舌触りで、噛むごとに磯魚の旨みを感じる。マッシュルームソースとの一体感も素晴らしく、繊細で、優美な味わいだ。
2002年にはバルの文化を伝えたいと『ゴソ』を開いて、05年には骨付き肉を看板にした炭火焼きの『カルボン』、08年にバル&米料理の『ファロ』。魚介に特化したバルや、ブニュエロスという揚げ菓子の専門店もやりました。でも、モダンスパニッシュの『オラ』を開いて、痛感したんですよ。僕が好きなのは、80年代に出合ったスペイン料理やねんなぁと。今や、現地のレストランでも食べられなくなったような郷土料理を、これからも本店で変わらずお出ししていきます。
私のスパニッシュびいきは『エル・ポニエンテ』から始まった。オープン当初は“スペインワイン&タパス”と謳っていて、カウンターには大皿が並んでいた。ワインをガブガブ飲んで、タパスをつまんで、という愉しみは『ゴソ』に受け継がれ、関西にバルブームが巻き起こった。アサドールという炭火焼きを初めて味わったのは『カルボン』。スペインの食文化を次々と日本に紹介し、根付かせた小西シェフの功績は大きい。その功労が認められ、今春、黄綬褒章を受章。スペイン料理人としては初の快挙だ。
スペインの食は本当に豊かなんですよ。その食文化を伝えるのも専門店の役目やと思って、約30年やってきました。でもまぁ、卒業生がそれぞれ頑張ってるし、派生系が色々できてバル文化も根付いたし。もう十分やったかな。そろそろリタイアして、田舎で暮らしたいなと思って。あとやってないのはパン屋くらいやから、山の中でパンを焼きながら、趣味のフライフィッシングと山スキーを存分に楽しもうかな、と。ガリシアのモチッとしたパンが美味しいから、紹介したいんですよ。それと、スペインの地方料理の本も書きたいなーと考えてます。
って、それ、リタイアじゃないですやん!と突っ込むと、小西シェフはニマッと笑って頭を掻いた。渡西から約45年、スペイン料理は凄まじい発展を遂げた。その激流の中で置き去りにされてしまった80年代の料理を、小西シェフは今日も『エル・ポニエンテ』で作り続ける。今、改めて伝えたいスペインの味の一つと選んだ「温製磯魚のテリーヌ マッシュルームソース」は、どこか素朴で滋味深く、スパニッシュびいきの私の琴線に触れる味だった。
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- 店名
- エル・ポニエンテ
- 住所
- 大阪府大阪市中央区北浜2-1-21 つねなりビル1階
- 電話番号
- 06-6220-6868
- 営業時間
- 11:30〜14:00LO、17:00〜21:00LO
- 定休日
- 日曜
- 交通
- 各線淀屋橋駅から徒歩4分、地下鉄各線北浜駅から徒歩6分
- 席数
- テーブル20席、カウンター6席
- メニュー
- 昼/ランチ3080円〜、シェフのおすすめランチ9680円、夜/野菜の炭火焼き冷製サラダ・エスカリバダ2090円、イカの墨煮2750円、仔羊のグリル羊飼い風3300円、パスタのパエリヤ(2人前)4400円。※ランチ時もアラカルトの注文が可能。

writer

中本 由美子
nakamoto yumiko
青山学院大学を卒業し、料理と食の本を手掛ける東京の「旭屋出版」に入社。4年在籍した後、「あまから手帖」に憧れて関西へ。編集者として勤務し、フリーランスを経て、2010年から12年間、編集長を務める。21年、和食専門ウェブ・マガジン「和食の扉〜WA・TO・BI」を立ち上げ、25年に独立。フリーの食の編集者&記者に。産経新聞の夕刊にて「気さくな和食といいお酒」を連載中。
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