「クラブ・デュ・タスキドール」主催。フランス料理講習会<前編> 上柿元 勝会長に聞く
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次世代へタスキをつなぐ
上柿元さんは、1974年に渡仏し、80年まで『アラン・シャペル』や『ピック』などの名店で修業。1981年に「神戸ポートピアホテル」内のレストラン『アラン・シャペル』開店のために帰国し、シェフに就任します。本国さながらのフランス料理を神戸から発信し、その味が評判となり、食通がこぞって通うレストランとして一世を風靡しました。
1991年からは長崎県の「ハウステンボス」へ。「ホテルヨーロッパ」総料理長、総支配人も務めました。長年日本でフランス料理を普及し続け、全国に多くの弟子も輩出。その功績が認められ、フランス農事功労章、黄綬褒章受賞なども受賞しています。フランス料理界の牽引者として走り続けてきました。
「今はフランスで店を持った日本人がミシュランの星を取ってくれたりと、活躍していますが、私が渡仏したころは、日本人の存在はまだ全然認められていない厳しい時代でした。最初はひどい扱いを受けたこともありましたが、共に働くうちに『日本人は真面目に働き、よく学び、味覚もきちんとしているぞ』と、次第にフランス人の同僚から認めてもらえるようになった」と、当時を振り返ります。
上柿元さん自身が師匠であるアラン・シャペル氏やジャック・ピック氏から受け継いだもの、フランスの食文化や調理法を次の世代へ伝えなければいけないとの思いから「クラブ・デュ・タスキドール」を立ち上げました。
できる人ができることをやる
理事2名以上の推薦があると入会ができるという「クラブ・デュ・タスキドール」は、フランス料理に情熱と敬意を持ち続ける料理人やホテル、調理師学校などが参加し、会員数は現在100を超えました。活動は、今回のような講習会やホームページでのレシピ発信、YouTube動画なども活用して調理技術を伝えること。さらに農水産業の発展に貢献し、料理人の人材育成、食育にチャリティーなど多岐に渡ります。
「できる人ができることをやる。皆さん忙しいなか、店が休みの日などに時間を割いてノーギャラで集まってくれています。決して無理はしないで、背伸びしたらこけるから、できる人ができる範囲のことをやる。それでいいと思うんです」と上柿元さんは微笑みます。
その真っ直ぐなパッションが、会員の他のシェフ達にも伝播して、年齢やキャリアに関係なく集い、学び、各地で様々な活動につながっています。
「会員のシェフたちは、技術もレシピも惜しみなく披露してくれています。自分だけのものにするのではなく次の世代の人たちにフランス料理を託したいという思いからだと思います。料理人になって55年が経ちますが、僕たちは1人では何もできない。食材を作ってくれる生産者の方がいて、調理するには火がいるし道具も必要。協賛してくださるメーカーの方や、こうして会場を提供してくださる企業やレストラン、様々な方の力を借りて成立しているんです」。
また活動を通して、参加しているレジェンドシェフたちの背中を見て、挨拶をすること、目上の人を敬うこと、借りた厨房をピカピカにして返すことなど、社会人としての基本も伝えていきたいと考えています。
よく食べ、よく呑み、よく眠る!
誰に対しても朗らかに接する上柿元さんは、親しみと敬意を込めて皆から“ムッシュ”と呼ばれています。
1950年生まれ、70代後半を迎えた今も精力的に各地を飛び回っていらっしゃいます。
「まずは自分が元気で情熱を持っておかなければ誰も付いてこない。率先して『やるぞ!』と言えないといけませんから」と話すムッシュに、元気の秘訣を尋ねるとーー。
「元気であることはよく食べることです。そしてよく呑むこと、よく眠ること!」と明言されました。
「余計なことを考えない。みんな色々なことをクヨクヨ考えすぎですね。食べて呑んで寝る(笑)。日本とフランスの架け橋として、燃え沸るような魂の伝承を続けていくにはまず自分が元気でいないと。それにはしっかり食べないといけない」とにっこり。
この先も「クラブ・デュ・タスキドール」会長として子ども向けの食育の活動などがスケジューリングされているそう。今後もパッションを持って活動は続きます。
<後編>では大阪会場での講習会の実演をご紹介します!
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- イベント名
- Club du Tasuki d’or(クラブ・デュ・タスキドール)
- 公式サイト
- https://tasukid-or.com/

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